マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、一人でここまで来たつもりだった。

Indonesia Makassar

記事の冒頭
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第9話

工場がうまく動かない時期がありました。

原料が集まらない。売上が伸びない。資金が減っていく。問題が重なって、何から手をつければいいのか分からなくなっていた頃のことです。

ある朝、一人のスタッフが私に声をかけてきました。

「社長、大丈夫ですか。」

特別な言葉ではありませんでした。でもその時の私には、その一言が妙に染みました。

私はずっと、自分がスタッフを支えている側だと思っていました。

給料を払う。仕事を教える。問題が起きれば解決する。会社を続けることが、スタッフへの責任だと思っていました。

支える側と、支えられる側。その関係は、最初から決まっていると思っていました。

会社を作った頃のことを、よく覚えています。

工場はなかなか動きませんでした。許認可が進まない。設備にトラブルが起きる。売上はゼロ。資金だけが減っていく。

それでもスタッフたちは来ていました。

給料が満足に払えない時期もありました。それでも翌朝になると、いつもの時間に工場へ来ていました。

私は「ありがとう」と言った記憶がありません。来るのが当たり前だと思っていたからです。

うまくいかない時期は、何度かありました。

そういう時、私は一人で抱え込もうとしていました。社長だから。自分が解決しなければいけないから。

夜、数字を見ながら、どうすればいいか分からなくなることがありました。

そういう朝に、あのスタッフは声をかけてきました。

「社長、大丈夫ですか。」

何度かそういうことがありました。大したことは言いません。ただ聞いてくれる。時々、「きっと大丈夫です」と言う。根拠があるわけではありません。でも、その言葉が、次の一歩を踏み出す力になっていました。

私はその時、自分が支えられていることに、気付いていませんでした。

あの「社長、大丈夫ですか。」を思い出すたびに、考えます。

支えるとは、何だろう。

お金を払うことが支えなのか。仕事を教えることが支えなのか。

あのスタッフは、私に何かを教えてくれたわけではありませんでした。問題を解決してくれたわけでもありませんでした。

ただ、そこにいてくれました。そして時々、声をかけてくれました。

それが支えだったのかもしれない、と今は思います。

5年間を振り返ると、いくつかの顔が浮かびます。

工場が動かない時期に来続けてくれたスタッフ。うまく言葉が通じない私と、根気よく付き合ってくれた漁師さん。何度もやり取りを重ねてくれた日本の取引先。

私は一人でここまで来たつもりでいました。

でも、一人だったことは一度もなかったのかもしれません。ただ、気付いていなかっただけで。

あのスタッフは今も工場にいます。

相変わらず、特別なことは何も言いません。

でも今朝も、工場に入った時、目が合って少し笑ってくれました。

私は、誰に支えられてきたのだろう。

その問いの答えは、たぶんすぐ隣にいます。


このシリーズは、マカッサルで暮らす中で少しずつ変わっていった自分を、一話ずつ振り返りながら書いています。

第1話「私は、日本で幸せだったはずだ」

第2話「私は、ちゃんと生きすぎていた」

第3話「私は、急いで生きていた」

第4話「私は、逃げたのだろうか」

第5話「私は、人を変えようとしていた」

第6話「私は、社長になれなかった」

第7話「私は、正しいことしか言えなかった」

第8話「私は、分からないと言えるようになった」

記事の最後
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