マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、社長になれなかった。

Indonesia Makassar

記事の冒頭
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第6話

会社を作れば、社長になれると思っていました。

名刺にも、登記にも、そう書いてあります。

でも五年経った今、その考えは少し違っていた気がします。

日本にいた頃、私は「社長」という言葉にある種のイメージを持っていました。

指示を出す人。決断をする人。部下が動いて、会社が動く。そういう人が社長なのだと、どこかで思っていました。

だから会社を作った時、私はそうなろうとしました。

方針を決める。指示を出す。スタッフが動く。そういう形を作ろうとしていました。

しかし現実は違いました。

指示を出しても、思うように動かない。決めたことが翌日には変わっている。私が考えた手順が、現場では通用しない。

最初の頃、私は何でも自分で決めようとしていました。仕入れの交渉も、工場のレイアウトも、スタッフのシフトも。

「社長が決める」ということが、正しいことだと思っていたからです。

でも、やればやるほど、うまくいきませんでした。

ある日、仕入れの交渉で漁師さんとうまくいかないことがありました。

値段の折り合いがつかない。私が直接話しても、相手は首を縦に振らない。

その場に、スタッフの一人がいました。

私がしばらく苦労していると、そのスタッフがそっと前に出て、漁師さんと話し始めました。

インドネシア語で、何かを話しています。私には半分しか聞き取れません。でも、漁師さんの表情が、少しずつ和らいでいきました。

しばらくして、スタッフが振り向きました。

「大丈夫です。」

交渉は、まとまっていました。

私には何もできませんでした。

あの日だけではありませんでした。

私が正面からぶつかって動かない壁が、スタッフの一言で動くことが何度もありました。

私が考えた方法より、現場から出てきたやり方の方が、うまくいくこともありました。

「どう思う?」

「どうやったらうまくいくかな?」

気が付けば、私は聞くことの方が多くなっていました。

今日も工場では、誰かが判断しています。

誰かがスタッフに声をかけています。

私はその様子を見ています。

以前なら、私が口を出していた場面です。

今日は、何も言いません。

社長になれたのかどうか。

それは、まだよく分かりません。


このシリーズは、マカッサルで暮らす中で少しずつ変わっていった自分を、一話ずつ振り返りながら書いています。

第1話「私は、日本で幸せだったはずだ」

第2話「私は、ちゃんと生きすぎていた」

第3話「私は、急いで生きていた」

第4話「私は、逃げたのだろうか」

第5話「私は、人を変えようとしていた」

記事の最後
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