マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、分からないと言えるようになった。

Indonesia Makassar

記事の冒頭
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第8話

朝、工場の中がいつもより静かでした。

二人のスタッフが口をきいていません。他のスタッフも、少し気まずそうに作業をしています。

しばらくすると、古参のスタッフが私のところへ来ました。

「少しいいですか。」

詳しい経緯を聞きましたが、私には半分しか分かりませんでした。言葉だけではありません。二人の間にある、それまでの出来事が、私には見えていませんでした。

「どうしましょうか。」

古参のスタッフが私に聞きました。

私は少し考えました。

「分かりません。」

スタッフが少し驚いた顔をしました。

日本にいた頃、「分からない」と言うことは、あまりありませんでした。

25年間、同じ業界にいました。業界の常識も分かっていました。お客様のことも、仕入先のことも、たいていのことは分かっていました。

「これはどうすればいいですか。」

部下に聞かれれば、答えられました。答えることが上司の役割だと思っていました。

マカッサルへ来てから、分からないことが増えました。

言葉が分からない。文化が分からない。人間関係の背景が分からない。何が普通で、何が普通でないのかも、最初は分かりませんでした。

それでも最初の頃、私は答えようとしていました。半分しか分かっていなくても、何か言おうとしていました。社長だから。決める立場だから。分からないとは言えない、という気持ちがどこかにありました。

あの朝、「分かりません」と言った後、私は続けました。

「私には、事情がよく分からない。あなたはどう思いますか。」

スタッフは少し間を置いてから、話し始めました。二人の間で何があったのか。どちらにどんな事情があるのか。これまでの経緯。

私の知らない話が、次々と出てきました。

スタッフの話を聞き終えて、私は言いました。

「あなたに任せます。」

その日の夕方、問題は落ち着いていました。

私が介入していたら、どうなっていたか分かりません。でも、スタッフが動いた結果は、うまくいっていました。

「分からない」と言えるようになったのは、いつ頃からだったのか。

はっきりとした瞬間は覚えていません。でも、気付けばそうなっていました。

最初は、分からないと言うことが恥ずかしかった。社長が分からないと言っていいのか、という気持ちがありました。

でも、あることに気付きました。

私が分からないふりをして決めた時より、分からないと言って任せた時の方が、現場はうまく動くことが多かったのです。

私が持っていない情報を、スタッフは持っていました。私には見えていない文脈が、現場にはありました。

「分からない」と言うことは、諦めることではありませんでした。その方が、物事が動くことがありました。

今でも、分からないことはたくさんあります。

マカッサルに来て5年経ちましたが、まだ分からないことの方が多い気がします。

ただ、以前と違うのは、そのことをあまり気にしなくなったことです。

分からなければ、聞けばいい。私より分かっている人が、そこにいます。

今日も工場では、何かが起きています。

スタッフが集まって、何かを話し合っています。

私は少し離れたところで、その様子を見ています。

私に声がかかるまで、待っています。


このシリーズは、マカッサルで暮らす中で少しずつ変わっていった自分を、一話ずつ振り返りながら書いています。

第1話「私は、日本で幸せだったはずだ」

第2話「私は、ちゃんと生きすぎていた」

第3話「私は、急いで生きていた」

第4話「私は、逃げたのだろうか」

第5話「私は、人を変えようとしていた」

第6話「私は、社長になれなかった」

第7話「私は、正しいことしか言えなかった」

記事の最後
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