マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、日本で幸せだったはずだ。

Indonesia Makassar

記事の冒頭
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第1話

朝6時。車の窓を少し開けると、湿った空気が流れ込んできます。

モスクからアザーンが聞こえる。どこか遠くで、どこか近くで、重なり合いながら街に溶けていく。道路脇では屋台のおじさんがナシクニンを並べ始めていて、バイクが何台も私の車を追い越していく。信号が赤になる。窓の外で、小学生くらいの子どもが二人、何かを笑いながら走っている。

この景色を見ながら、ふと思うことがあります。

「どうして私は、ここにいるんだろう。」

55歳になった今でも、その問いに、うまく答えられないでいます。

実は私は、日本で不幸だったわけではありません。

仕事もありました。家族もいます。毎月給料も入りました。休日には友人と酒を飲みました。25年間、水産業界で営業の仕事をして、仕事も好きでした。取引先には信頼してくれる人がいました。後輩にも恵まれていました。

周りから見れば、順調な人生だったと思います。

だから「なぜ会社を辞めたんですか」と聞かれると、いつも少し困ります。

不満があったわけではない。嫌なことがあったわけでもない。でも、辞めた。

その理由を、今でもうまく言葉にできないでいます。答えようとするたびに、言葉が少しずれる感じがします。

強いて言うなら、「違和感」という言葉が一番近かったのかもしれません。

日本では、手帳は予定で埋まっていました。

朝起きると、今日やることは決まっていました。車に乗る。会社へ行く。会議をする。帰る。次の日も、その次の日も。

ある日、手帳を閉じた時、ふと思いました。

「私は、いつから毎日を”消化”するようになったんだろう。」

それが嫌だったわけではありません。でもその問いが浮かんだことを、私はしばらく忘れられませんでした。

50歳でインドネシアへ来ました。

ある朝、工場へ向かっていると、電話が鳴りました。「Pak Kenji、港へ来てください。」

理由を聞く前に、電話は切れていました。

気が付けば、長靴を履いて港に立っていました。水揚げされたばかりのタコが並んでいて、漁師さんが何人か集まって何かを話し合っていました。私はインドネシア語がまだうまく聞き取れなくて、半分しか分からないまま、うなずいていました。

長靴のまま、気が付けば夕方でした。工場へ戻れなかったことを、誰も責めませんでした。港では、誰かが笑っていました。私も笑っていました。

何がそんなに面白かったのか、今でも覚えていません。

日本なら、予定が狂った一日です。マカッサルでは、ただの火曜日でした。不思議と、その日のことだけは今でも忘れていません。

日本へ帰ると、空港を出た瞬間、静かだなと思います。

居心地がいい。そう思います。

でも数日すると、もうマカッサルへ帰りたくなっています。

なぜなんでしょう。街なのか。仕事なのか。人なのか。

今でも分かりません。

日本にいた頃の私に、「毎日が楽しいか」と聞いたら、少し間があいたと思います。

マカッサルへ来た今の私に、同じ質問をしても、やはり少し考えます。

それでも、不思議と答えは同じではありません。

工場へ着くと、もうスタッフが集まっています。

誰かが笑っています。誰かが掃除をしています。誰かがコーヒーを飲んでいます。

私は車を降ります。

「Selamat pagi.」

誰かが笑って、「Pagi, Pak.」と返してくれます。

「Pak Kenji.」

私は振り向きます。

「Ya.」

今日も、一日が始まります。

ポケットの中には、まだ答えのない問いが入ったままです。

だから今日も、私はここにいます。

記事の最後
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