マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、正しいことしか言えなかった。

Indonesia Makassar

記事の冒頭
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第7話

タコを手に取って、私は言いました。

「これは日本には出せない。」

スタッフは不思議そうな顔をしていました。

そのタコは、傷がありました。足が一本、根元からなくなっていました。色も、私の目には少し悪く見えました。触った時の弾力も、合格ラインではありませんでした。

「なぜ出せないのですか。」

スタッフが聞きました。

「日本のお客様は、こういうものを受け取らない。」

「でも、食べられます。」

スタッフは本当に不思議そうでした。

その顔を見て、私は初めて気付きました。私たちは、違うものを見ていたのだと。

「食べられるかどうかじゃない。」

私はそう言いましたが、それ以上うまく説明できませんでした。

日本で25年間、水産業に携わってきました。

品質基準は体に染み込んでいました。サイズの揃い方。色の見方。触った時の弾力。鮮度の判断。言葉にしなくても分かる感覚が、長年の仕事の中で自然に身についていました。

市場で仕入れた魚を見た瞬間に分かる。バイヤーが何を見るのかも分かる。二十五年かけて身についた感覚でした。

だから正しいことは分かっていました。何が良くて、何がいけないのか。それは間違いなく分かっていました。

でも、それだけでは足りませんでした。

最初の頃、私は丁寧に説明しました。

日本のバイヤーがどんな基準で見ているか。返品になるのはどんな商品か。私は何度も説明しました。

スタッフたちは真剣に聞いていました。「分かりました」と言いました。メモを取る人もいました。

でも翌日、選別台を見ると、基準に満たないものが混ざっていました。

また説明しました。また「分かりました」と言いました。

また混ざっていました。

私には何が伝わっていないのかが、分かりませんでした。怒りというより、不思議でした。なぜ理解できないのか。なぜ同じことが繰り返されるのか。私は正しいことを言っているのに。

ある日、一人のスタッフが言いました。

「基準は分かっています。」

「なら、なぜできないんだ。」

スタッフは少し考えてから、答えました。

「見ても、分からないんです。」

「どういうこと?」

「日本のお客様が何を見て良いと言うのか、私たちは見たことがないので、分からないんです。社長には見えているものが、私たちには見えていない。」

私は、何も言えませんでした。

その言葉が、しばらく頭に残りました。

私には25年分の「見た経験」がありました。日本のバイヤーの顔を見てきました。返品されたものを目の前で見てきました。合格したものと不合格のものを、何千回も見比べてきました。水産の現場で積み上げてきた感覚が、私の体の中にありました。

スタッフにはそれがありませんでした。

私は、正しいことを言っていました。でも、その正しさは、私の中にしかありませんでした。言葉で伝えようとしていたものが、本当は言葉にならないものだったのです。

私が当たり前だと思っていた基準は、25年かけて自分の中に作ってきたものでした。生まれた時からあったものではありませんでした。

それからしばらく経って、私はやり方を変えました。

言葉で説明する前に、並べるようになりました。良いものと、そうでないものを選別台の上に隣に置く。どちらが日本に出せてどちらが出せないか、実際に見せる。触らせる。違いを言葉ではなく、手と目で感じてもらう。

それだけで、少し変わりました。

完全に伝わったわけではありません。今でも迷うスタッフはいます。私が思う基準と、スタッフが思う基準が、まだ完全に一致しているわけでもありません。

でも、以前よりは近くなった気がします。

今日も工場では、タコの選別が続いています。

スタッフが一つひとつ手に取っています。

私はその横で、黙って見ています。

スタッフが迷った顔をしています。

私は、少し待ちます。

このシリーズは、マカッサルで暮らす中で少しずつ変わっていった自分を、一話ずつ振り返りながら書いています。

第1話「私は、日本で幸せだったはずだ」

第2話「私は、ちゃんと生きすぎていた」

第3話「私は、急いで生きていた

第4話「私は、逃げたのだろうか」

第5話「私は、人を変えようとしていた」

第6話「私は、社長になれなかった」

記事の最後
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