海外進出に関する記事一覧
50歳で人生を変えて、本当に手に入れたもの 人生は一度きりでも、一度しか変われないわけじゃない
この連載も、今回が最終回です。振り返ってみると、本当に手に入れたものは会社でも、お金でも、成功でもありませんでした。人生には、まだ知らない景色があること。そして、人生はやり直すのではなく、何歳からでも広げていけること。この5年間を通して、私が一番伝えたいことを書きました。
海外で暮らして初めて分かった、日本人の弱さ 「正しさ」が通じない世界で学んだこと
海外で暮らして気づいたのは、日本人の強みが、時には弱みにもなるということです。「正しければ伝わる」「ルールがあれば人は動く」という日本での当たり前は、海外では必ずしも通用しません。インドネシアでの5年間を通して学んだ、「正しさ」よりも大切なものについて、私自身の失敗と経験を交えながらお話しします。
海外で暮らして初めて分かった、日本のすごさ 日本を出て、初めて日本が見えた
インドネシアへ来て5年。マカッサルは今や私にとって第二の故郷です。この街で会社を作り、多くの人に助けられ、多くのことを学びました。しかし同時に、日本を離れたからこそ見えてきたものがあります。それは、日本という国の本当の強さでした。海外で暮らして初めて分かった、日本のすごさについて書いてみたいと思います。
50歳を過ぎて、初めて見えてきた「時間」の話 ジャム・カレットの国で気づいたこと
50歳を過ぎてから、時間の流れが変わりました。インドネシアにはジャム・カレットという言葉があります。ゴムのように伸び縮みする時間。最初はその感覚に戸惑い、苛立つこともありました。しかし今振り返ると、その国で暮らしたからこそ気付けたことがあります。今だからこそ感じる「時間との向き合い方」について書いてみたいと思います。
50歳からでも人生はやり直せるのか 55歳になった今、私が思うこと
「もう50歳だから」その言葉は、いつの間にか自分を諦めるための言い訳になっていました。50歳で会社を辞め、インドネシアで新しい人生を始めた私が、55歳になった今思うことがあります。 人生は、一度しかない。でも人生は、一回戦ではない。 「50歳からでも人生はやり直せるのか」という問いについて、お話ししたいと思います。
「失敗したらどうしよう」と何度も考えた夜 50歳の私が、本当に怖かったもの
失敗したらどうしよう。50歳で会社を辞めると決めてから、その言葉が何度も頭の中を巡りました。もし全部うまくいかなかったらどうするのか。挑戦することよりも、失敗することの方が怖かったのです。それでも私はインドネシアへ来ました。50歳の私が本当に怖かったものと、「ダメなら戻ればいい」という考え方にたどり着くまでの話です。
50歳で会社を辞めた私が最初に失ったもの
退職した翌朝、その日から会社へ行く場所はありませんでした。不思議と怖かった。会社を辞めて最初に失ったのは給料ではありません。名刺でもありません。肩書でもありません。それは、「会社員であることが当たり前」という感覚でした。海外で新しい人生を始めた私が感じた不安と喪失、そしてその先にあったものについてお話しします。
50歳で会社を辞めた。そして私は、インドネシアで工場を作ることになった
50歳で会社を辞めました。起業経験なし。海外経営経験なし。家族あり。普通に考えれば無謀な挑戦です。それでも私は日本を離れ、インドネシアで会社を作る道を選びました。成功談ではありません。50歳の普通の会社員だった私が人生後半戦で挑戦した記録です。「人生は何歳からでも変えられるのか」私なりの答えを書いていきたいと思います。
ラマダンは“試練”ではなく“経営戦略月間”である!インドネシアで勝ち続ける企業が理解していること
ラマダンは生産性が落ちる月ではない。本当に試されるのは、経営の設計力と感情マネジメントです。勤務時間短縮、決裁の遅れ、物流の変化、資金繰りの揺らぎ。社会全体の時間構造が変わる1か月を、怒るか、整えるか。焦るか、設計するか。インドネシアで長く勝ち続ける企業が実践している“ラマダン経営”のリアルを、現場目線でお伝えします。
インドネシア駐在員が知らずにやりがちなラマダンNG行動5選― 信頼を失わないための小さな配慮
ラマダンはイスラム教徒だけの特別な月ではありません。インドネシアで働く外国人駐在員にとっても、日々の振る舞いや仕事の進め方が問われる1か月です。昼間の飲食、業務の詰め込み、ブカプアサ前の苛立ちなど、知らずにやりがちなNG行動を5つに整理。現地で信頼を築くために大切な“少しの配慮”を、実体験を交えて解説します。