Indonesiaに関する記事一覧


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2015年、JICAの普及・実証事業が始まり、私はマカッサルの水産加工工場に立っていました。目の前には、かつて日本で初めて出会ったインドネシアの縞タコ。そして役に立ったのは、震災後に突然工場長を任された三年間の経験でした。別々だと思っていた出来事が、遠く離れたマカッサルで少しずつつながり始めます。

Business Indonesia Makassar

インドネシアで作る。その思いを形にする方法が分からない中、JICA事業への応募をきっかけにケンドマネジメントと出会いました。タコ案件、これは面白い。そして数か月後、海洋水産省で聞いた「タコなら、マカッサルでしょう。」という一言。翌日、私は初めてマカッサルへ。何気ない二つの言葉が、その後の人生を大きく動かしていきました。

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2014年10月、初めてインドネシアへ。日本のボイルタコを売るためのFS調査で、二人から忘れられない言葉をもらいました。「日本から輸入したタコなら買わない」「JICAの事業に応募してみたら」。工場も仕入先も資金もない。それでも、「インドネシアで作る」という考えだけが、頭の中に残りました。

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2012年、私が初めてインドネシアのタコを見たのは、日本の工場でした。見慣れない縞模様のタコを前に、「これを日本のお客さんが買ってくれるだろうか」と試行錯誤。加工方法を工夫し、ようやく商品化へ。まだインドネシアへ行ったことすらなかった私と、この国との最初の出会いは、一匹のタコから始まりました。

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営業として全国を飛び回り、中国やタイの工場も訪ねた日々。そんな私の仕事を大きく変えたのが、2011年の東日本大震災でした。被災した工場の復旧を進める中、営業しか知らなかった私が突然、工場長に。作ってもらう側から、作る側へ。あの三年間がなかったら、今の私はマカッサルの工場に立っていただろうか。

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100グラム98円。かつてスーパーではタコの特売が当たり前のように行われていました。作っても作っても売れるそんな時代がずっと続くと思っていました。しかし、アフリカ産タコの価格は上昇し、やがて日本はヨーロッパに買い負けるようになります。売るから原料を探す時代へ。その変化の先に、後のインドネシアとの出会いがありました。

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1998年、タコ屋に入った私に任されたのは「販促」でした。電話とFAX、手書きの見積書が当たり前だった時代、写真入りの売場提案書を作りスーパーで培った経験を武器にバイヤーへ提案する日々。このタコを買ってくださいではなく、「このタコなら、こう売れます。」あの頃に身につけた仕事の原点は、今のマカッサルへつながっていました。

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「欠品だけはするな。」スーパーに入社して最初に教えられた言葉でした。豆腐、牛乳、納豆の発注に悩み続けた日々。当時はただ怒られ、数字を追いかけているだけだと思っていました。でも二十年後、その経験はインドネシアでタコ会社を経営する私の土台になっていました。人生は、後になって初めて、その意味が分かります。

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就職氷河期の中、地元のスーパーマーケットに就職した私。毎日、発注数量と向き合うだけの平凡な日々が続いていました。そんなある日、思いがけない一本の電話から、人生は大きく動き始めます。興味もなかったタコとの出会いが、二十年以上後にインドネシアで会社を経営する未来につながるとは、このときは想像もしていませんでした。

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人生は、前を向いていると点にしか見えません。振り返ったとき、初めて一本の線になります。茨城の海辺で育った内気な少年が、なぜ50歳でインドネシアへ渡り、タコの会社を立ち上げることになったのか。その答えは、一つひとつの出来事を振り返った先にありました。これは、人生に隠された「伏線」をたどる物語の始まりです。