私はいつから「正解」を探さなくなったのだろう インドネシアで暮らして気づいたこと
はじめに
若い頃の私は、正解を探していた。
どの大学へ行けばいいのか。
どの会社へ入ればいいのか。
どんなキャリアを積めばいいのか。
どんな人生を歩めばいいのか。
いつもどこかに「正解」が存在すると信じていた。
そして、その正解を見つけることが人生の成功だと思っていた。
だから失敗したくなかった。
遠回りしたくなかった。
間違った選択をしたくなかった。
しかし今、インドネシアで暮らして5年が経ち、昔とは少し考え方が変わった。
むしろ最近は、
「正解なんて本当にあるのだろうか」
と思うことが増えた。
今日はそんな話を書いてみたい。
正解を探していた頃
学生の頃はシンプルだった。
良い成績を取る。
良い学校へ行く。
良い会社へ入る。
社会全体がそういう価値観だったように思う。
もちろん努力することは大切だ。
しかし当時の私は、
人生には一つの正しい道がある
と思っていた。
だから周りと比べた。
自分の選択が正しいのか気になった。
人より遅れていないか不安だった。
今思えば、人生を生きているというより、人生の答え合わせをしていたような気がする。
インドネシアで最初にぶつかった壁
インドネシアへ来て最初に驚いたのは、
正解が通用しないことだった。
日本ならこうする。
日本ではこう考える。
日本ではこれが常識。
しかし、その多くがインドネシアでは通用しなかった。
時間の感覚。
働き方。
人間関係。
商習慣。
価値観。
どれも違う。
最初は戸惑った。
「どちらが正しいのか」
を考えた。
でも答えは出なかった。
なぜなら、
どちらも正しかったからだ。
日本には日本の正しさがある。
インドネシアにはインドネシアの正しさがある。
そこに優劣はなかった。
ただ違うだけだった。
人生は思ったほど計画通りにいかない
振り返ると、人生の大きな出来事の多くは計画外だった。
インドネシアで会社を作ることもそうだった。
マカッサルに住むこともそうだった。
タコ事業を始めることもそうだった。
どれも若い頃に描いていた人生設計にはなかった。
もし20代の自分に、
「将来インドネシアでタコの輸出事業をやっているよ」
と言っても信じなかったと思う。
でも実際にはそうなった。
人生は不思議だ。
計画した通りにはならない。
しかし、振り返ると無駄だったことも意外と少ない。
正しい選択より大切なもの
以前は、
正しい選択をすること
が大切だと思っていた。
しかし今は少し違う。
大切なのは、
選んだ道を正解にすること
だと思う。
どの会社へ入るか。
どの国で暮らすか。
どんな仕事をするか。
もちろん選択は大事だ。
しかし、どんな選択をしても必ず課題はある。
完璧な道は存在しない。
だから最後は、
自分が選んだ道をどう歩くか
なのだと思う。
海外生活で出会った人たち
インドネシアで多くの日本人と出会った。
駐在員。
起業家。
投資家。
研究者。
ボランティア。
それぞれ全く違う人生を歩んでいる。
面白いのは、
幸せそうな人ほど
「正解」を持っていないことだ。
むしろ、
自分なりの答え
を持っている。
他人と比べない。
自分のペースで生きている。
だから自然体だ。
私はその姿に何度も救われた。
人と比べなくなった理由
海外生活を続けていると、
比較することが難しくなる。
日本の友人とは環境が違う。
現地の人とも環境が違う。
誰とも同じ条件ではない。
だから比べようがない。
最初は不安だった。
しかし次第に楽になった。
他人の人生を気にするより、
自分の人生に集中できるようになったからだ。
もしかすると海外生活が教えてくれた最大のことは、
人と比べる意味のなさ
だったのかもしれない。
正解がないから人生は面白い
もし人生に正解があったらどうだろう。
誰もが同じ大学へ行き、
同じ会社へ入り、
同じ人生を歩く。
それは安心かもしれない。
でもきっと面白くない。
人生の魅力は、
人それぞれ違うところにある。
成功の形も違う。
幸せの形も違う。
だから正解がない。
そして正解がないからこそ、自分で考える価値がある。
おわりに
私はいつから正解を探さなくなったのだろう。
正直、自分でもよく分からない。
インドネシアへ来たからかもしれない。
年齢を重ねたからかもしれない。
たくさん失敗したからかもしれない。
ただ一つ言えることがある。
昔の私は、
正解を探していた。
今の私は、
自分で選んだ道を正解にしたいと思っている。
人生に正解はない。
でも、自分が納得できる生き方はある。
そしてその答えは、誰かが教えてくれるものではなく、自分自身で作っていくものなのだと思う。
今日もマカッサルの空は青い。
その空を見ながら、私はこれからも自分なりの答えを探していきたいと思う。