一通のメールが、東京ビッグサイトにつながった日

Business Indonesia


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インドネシアで、私は「人」を運んでいたのかもしれない。

その日、私は日本にいました。

展示会の日程に合わせて一時帰国し、東京ビッグサイトのブースの前に立っていました。

木製の手洗器が、照明の下で静かに並んでいました。

水が流れ、木の質感が浮かび上がる、きれいなブースでした。

でも、ブースの前に立ちながら私の頭に浮かんでいたのは、目の前の景色ではありませんでした。

五年前に届いた、一通の長いメールでした。

差出人は、鹿児島県で三代目として水道工事会社を営む、鶴田さんという方でした。

「いきなりの連絡失礼します。」という一文から始まっていました。

インドネシアのECサイトで、木製の手洗器を見つけて一目惚れしたこと。

その製造元の工場を探したいのだが、代理人がいいのか、企業がいいのか、頼るあてもなく困っていること。

丁寧に、でも率直に、そう書かれていました。

普通なら、読み飛ばしていたかもしれません。

面識もありません。

紹介もありません。

でも、メールの終わりの方に、思いがけないことが書いてありました。

木製の手洗器を探している中で、私が書いたブログ記事を読んでくれたというのです。

インドネシアの漁師たちの所得向上について書いた、まとめの記事でした。

特に、記事の最後に書いた言葉に共感した、とありました。

私は、自分が書いた文章が、会ったこともない誰かの背中を押していたことに、少し驚きました。

理屈ではなく、「この人は本気だ」ということだけが、まっすぐ伝わってきました。

その日のうちに、私は返事を書きました。まず書いたのは、仕事の話ではなく、鹿児島の話でした。

鹿児島市内も、桜島も、指宿も訪れたことがあること。きびなごや、さつま揚げをつまみに、芋焼酎を飲んだ夜があること。しめは、鹿児島ラーメンと白くまですよね、とも書きました。

そのうえで、鶴田さんが見つけたという商品のリンクを、自分でも調べてみました。

出店者のホームページをたどっていくと、中部ジャワの工場から仕入れているらしいことが分かりました。

インドネシアの木工技術は、正直に言うと、日本ではあまり知られていません。

素晴らしい技術を持った職人がいるのに、ブランドとして正当に評価されていない。そのことを、私は日頃から感じていました。

工場を探すなら、メールではなくワッツアップの方がいいこと。インドネシアではあまり英語が通じないこと。言葉は悪いですが、ぼったくりも多いので注意が必要なこと。知っていることを、思いつく限り書きました。

そして、最後にこう書きました。

「一番の方法は、鶴田さんがインドネシアに来て、実際に現物を見て判断することです。」

当時、私はタコの製造会社を辞めて、東京の会社でJICAの仕事を中心に、東南アジアへの進出を手伝う仕事をしていました。

基本的な調査は、料金はいらない、とも書きました。

そして最後に、鶴田さんが書いてくれた、あの一文を、そのまま返しました。

「できない理由を探すより、できる方法を探すほうがいい。」

「一緒に、チャレンジしてみませんか。」

それが、私からの最初の返事でした。

このメールが届いたのは、2021年9月22日のことでした。

その一か月後の10月21日、私は日本を発ち、インドネシアでタコの会社を立ち上げることになっていました。

偶然でした。

鶴田さんの挑戦が動き出した月に、私自身も、人生をやり直す一歩を踏み出そうとしていました。

それが、始まりでした。

日本を発ってから、鶴田さんが現地に来られない分、代わりに木工所を何軒も回りました。

チーク材を手に取り、木目を見比べました。

職人と、身振り手振りで話しました。

写真を撮って日本へ送りました。

水はけ、木目の見え方、寸法、加工方法。

修正は、何度も続きました。

日本では当たり前のことが、インドネシアでは当たり前ではありません。

「明日できます」と言われて、三日待つこともありました。

最初は、それをただの遅れだと思っていました。

でも、こちらの時間だけを押し付けても、ものづくりは前に進みません。

待つことと、諦めることは違う。少しずつ、その違いが分かるようになりました。

すべてが順調だったわけではありません。

思うように進まないことも、信頼していた人との別れも、ありました。

言葉が通じないことより、心が通じないことの方が、ずっと苦しいのだと、このときに知りました。

私は、正直、木のことも塗装のことも、専門的には分かりません。

ただ、間に立っていただけです。

でも今回のことで、その「間に立つ」ということが、実は一番大事な仕事だったのかもしれない、と思うようになりました。

信頼というのは、契約書ではなく、こういう小さな橋渡しの積み重ねでできているのだと思います。

展示会場では、二日間、途切れることなく人が来ていました。

来場者が木の手洗器に触れ、水を流してもらい、「初めて見た」と驚く顔を、私は少し離れたところから眺めていました。

名前を知っている大きな会社の方たちも、足を止めていました。

最終的に、名刺交換は約百五十名。詳しい商談希望は約三十名。

数字だけ見れば、十分すぎるほどの成功だと思います。

でも、私が一番嬉しかったのは、そこではありません。

鹿児島の水道工事会社が、誰にも成功を約束されないまま、五年間信じ続けてきたものが、目の前で市場に届いている。それを、自分の目で見られたことでした。

「木でできた手洗器は、初めて見た。」

そう言われているのを隣で聞きながら、五年前、初めて木工所に足を踏み入れたときの、木くずの匂いを、なぜか思い出しました。

あのとき、まだ何も形になっていませんでした。

図面すらありませんでした。

私は、タコを扱う仕事をしています。

木製の手洗器は、作れません。

デザインも、塗装も、木工の技術も、専門ではありません。

でも、人と人をつなぐことなら、できたのかもしれません。

インドネシアで暮らして五年。

一番価値があると思ったのは、魚でも、木材でも、工場でもありませんでした。

人でした。

仕事は、商品より先に、人が動きます。

海外で一番大切なのは、人脈ではなく、人との信頼だと、この五年間で教わりました。

あの日、メールを読み飛ばしていたら。

「怪しい話だ」と思って、返事を書かなかったら。

WOODNESIAは、東京ビッグサイトには立っていなかったかもしれません。

五年前は、木材を見ていました。

今、ブランドは、自分の足で歩き始めています。

あのメールの最後に、鶴田さんはこう書いていました。

「できない理由を探すより、できる方法を探すほうがいい。」

五年前、私はこの言葉を、そのまま鶴田さんに返しました。

今度は、その言葉を、自分自身に返す番になりました。

人生は、どの出会いが未来につながるか、始まった時点では分かりません。

あの日は、ただ一通のメールでした。

五年後、それが東京ビッグサイトにつながるとは、誰も想像していませんでした。

だから私は、今日も、知らない誰かから届く一通のメールを、なるべく丁寧に読むようにしています。

もし、この挑戦から生まれた木製手洗器に興味を持っていただけたら、ぜひブランドサイトものぞいてみてください。
WOODNESIA公式サイト

記事の最後
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