マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、ちゃんと生きすぎていた。
第2話
工場の床に座って、スタッフと昼ご飯を食べていた日のことを、今でも覚えています。
プラスチックの容器に入ったナシゴレン。みんな思い思いの場所に座って、誰かが冗談を言って、誰かが笑って、また誰かが笑って。
その輪の中に、私もいました。長靴を履いたまま。作業着のまま。
ふと思いました。
「私は、何をそんなに守ってきたんだろう。」
日本にいた頃、私は「ちゃんとした人間」でした。
時間は守りました。約束は守りました。取引先には礼儀正しく接しました。上司への報告は欠かしませんでした。書類は期日通りに提出しました。会議では発言する前に少し考えました。
迷惑を掛けないこと。失敗しないこと。周りから見て、きちんとしていること。
それが正しいことだと思っていました。そして実際、それは間違っていなかったと思います。
ただ、いつ頃からか、「ちゃんとする」ことが、少し重くなっていた気がします。
最初は、自分で選んでいたはずでした。それがいつの間にか、やらなければならないことになっていました。
でも、その重さに気付いたのは、マカッサルへ来てからでした。
ある日、取引先への連絡を現地スタッフに頼みました。
夕方になっても返事がありません。確認すると、「送りました」と言う。でも相手には届いていない。もう一度送ってもらう。また返事がない。
日本なら、こんなことはほとんど起きません。起きたとしても、すぐに謝罪と説明が来ます。
私は最初、苛立ちました。なぜちゃんとやらないのか。なぜ確認しないのか。なぜ、なぜ、なぜ。
でも、スタッフたちは特に気にしていない様子でした。「明日また送ります」と、笑いながら言いました。
その笑顔を見た瞬間、自分の中で何かが、少し崩れた気がしました。
マカッサルでは、ちゃんとできないことが多くあります。
予定通りに進まない。連絡が途切れる。書類が遅れる。停電で仕事が止まる。
最初の頃は、その一つひとつを正そうとしていました。日本のやり方を教えようとしていました。ちゃんとすることが、正しいことだと信じていたからです。
でも、ある日、ふと気付きました。
スタッフたちは、ちゃんとしていないわけではありませんでした。私とは、「ちゃんと」の意味が違っていただけでした。
そして、もう一つ気付いたことがあります。
私が「ちゃんとしなければ」と思っていたことの、いくつかは、本当に必要なことだったのか。それとも、そう思い込んでいただけだったのか。
今でも、答えが出ていません。
床に座ってナシゴレンを食べていたあの昼。
誰かが私に向かって、インドネシア語で何か言いました。私が分からずにいると、みんなが笑いました。悪意のある笑いではありません。ただ、楽しそうに笑っていました。
私も笑いました。何が面白いのか分からないまま、笑いました。
それが恥ずかしくなかったのは、なぜだったのか。日本にいた頃の私なら、分からないことを笑われた瞬間、何かが縮んでいたかもしれません。
でも、あの時の私は縮みませんでした。
なぜだったのか。今でもうまく説明できません。
日本にいた頃の私は、「ちゃんと」が得意でした。マカッサルへ来てからは、「ちゃんと」できない日が増えました。
でも、どちらの自分が本当の自分なのか。それとも、そういう問い方自体がずれているのか。
ちゃんと生きるって、何なんだろう。
今日も工場では、誰かが床に座ってご飯を食べています。
誰かが笑っています。
私もその隣に座ります。
長靴のまま。作業着のまま。
昔の私なら、少し気にしていたかもしれません。
今の私は、そのことを、あまり気にしていません。
この問いは、第1話から始まりました。
もしよろしければ、第1話「私は、日本で幸せだったはずだ。」からお読みください。