マカッサルで暮らす。知らない人が、笑いかけてくる。
マカッサルへ来たばかりの頃、一番驚いたのは、そのことでした。
コンビニでも。 市場でも。 港でも。
歩いているだけで、
「Hello!」
と、知らない人が笑いかけてきます。
街は、大きいはずです。 それでも、外国人は少なく、日本人となると、さらに珍しい存在でした。
最初は、戸惑いました。
何か、用事があるのだろうか。 何か、売り込みだろうか。
日本では、知らない人と話すことは、ほとんどありませんでした。
来て間もない頃、港の近くを歩いていたとき、見知らぬ男性に、大きな声で「Hello!」と呼ばれたことがあります。 反射的に、財布の位置を確かめてしまいました。 日本にいた頃には、なかった仕草です。 けれど、彼はただ、笑顔で手を振っただけでした。 拍子抜けするくらい、それだけでした。
そう思いながら、愛想笑いを返していました。
でも、違いました。 そのほとんどは、本当にただの挨拶でした。 何も売りつけられず、何も頼まれず、ただ、笑いかけられて、それで終わる。 そんなことが、何度も続きました。
散歩をしていると、道端で遊んでいた子どもが、こちらに気づいた途端、駆け寄ってくるように手を振り、「Hello!」と、大きな声で叫んでくることがあります。 特に何をするわけでもありません。 声をかけて、笑って、また遊びに戻っていく。 それだけで、その日一日が、少しだけ軽くなるような気がします。
Grabのバイクを待っているだけで、隣に座っていた見知らぬ人に、話しかけられたこともあります。 「どこから来たの」 「仕事は何をしているの」 言葉は、たどたどしいながらも、興味を隠さずに聞いてきます。 日本であれば、そんな会話は、まず始まらなかったと思います。
モールを歩いていたら、「日本人ですか」と声をかけられ、そのまま立ち話になったこともありました。 理由も、目的も、ないのです。 ただ、話しかけたかった。 それだけのようでした。
住み始めて、しばらく経ったある日、気づいたことがあります。 笑いかけてくるのは、通りすがりの知らない人だけではありませんでした。
よく行くカフェでは、席に座る前に、
「いつものですね」
と言われます。
近所のスーパーでは、レジのスタッフが、何も言わなくても、いつも買うものを覚えていて、袋に入れる手が早いことがあります。
コンビニでは、
「日本へ帰っていたんですね」
と、声をかけられたことがありました。
正直、少し驚きました。 私の方は、店員の顔も、名前も、覚えていなかったからです。 けれど、向こうは、覚えていました。 何を買うのか。 何を飲むのか。 いつ来るのかまで。
近所の屋台では、席に着くと、注文をする前から、店主が手を動かし始めることがあります。 「いつものでいい?」と、確認さえしないこともあります。 最初にその店に座ったときは、名前も名乗っていなかったはずです。 それでも、何度か通ううちに、私の好みは、いつの間にか、覚えられていました。
日本にも、顔を覚えてくれる馴染みの店は、もちろんあります。 けれど、そうなるまでには、何年も通う必要があったように思います。 この街では、その距離が、もっと早く縮まります。 何度か通っただけの店でも、少しずつ、知り合いになっていく。 効率だけを考えれば、それは、非効率なのかもしれません。 けれど、どこか、あたたかいものでした。
だから私は、この街で買い物をしていると、人に会いに行っているような気がすることがあります。
気づけば私も、知らない人と目が合うと、自分から笑い返すようになっていました。
「また来ました」
そう、自然に口にするようになっていました。
考えてみれば、私は、この街の誰かの顔と名前を、まだそれほど多く覚えていません。 それでも、街の方は、私のことを、少しずつ覚えてくれているようです。
暮らすというのは、住所を持つことではなく、誰かに顔を覚えてもらうことなのかもしれません。
この街では、お客さんになる前に、一人の顔として、覚えてもらえるのかもしれません。