マカッサルには、何もない。それでも、この街を好きになった。
少なくとも、最初の私はそう思っていました。
バリのような、世界的なリゾートビーチはありません。 ジャカルタのような、林立する高層ビルもありません。 知名度のある世界遺産も、ありません。
日本の友人に、「マカッサルって、何があるの?」
と聞かれるたびに、私は少し困っていました。
正直に言えば、答えに詰まっていたのだと思います。 観光ガイドを開いても、ページは驚くほど薄い。 検索しても、出てくるのはせいぜい数枚の写真です。
私は、いつも曖昧に笑って、こう答えていました。
「うーん、特に何も、ないかな」
そう言いながら、少しだけ、自分でも寂しくなっていました。 この街を選んだのは自分なのに、その街のことを、うまく語れない。 それが、少し悔しくもありました。
実は少し足を延ばせば、美しい珊瑚礁があります。 山々もあります。 トラジャのような、独自の歴史や文化を持つ土地も、この州にはあります。 けれど、それを知っている日本人に、私はまだ会ったことがありません。
けれど、5年が経ちました。 今、私はまだこの街にいます。 何もないはずの街に、5年も住んでいるのです。
何か特別な出来事があったわけではありません。 大きな決断があったわけでもありません。 むしろ、気づいたら5年が過ぎていた、というのが正直なところです。この街の何が私を留まらせているのか、少し真剣に考えてみることにしました。
思い浮かんだのは、たった3つの景色でした。
一つ目は、朝のアザーンです。 近所のモスクから、少し掠れたスピーカー越しに、祈りの声が流れてきます。 最初の頃、その音で目が覚めるたびに、私は身構えていました。 自分が異国にいることを、否応なく思い知らされる音だったからです。 何年目だったか、はっきり覚えていません。
ただ、ある朝、いつものように目を覚ました瞬間、こう思ったのです。 「ああ、今日も始まるな」 その時初めて、あの声が、恐れではなく、安心として自分の中に入ってきたことに気づきました。 異国の音だったはずのものが、いつの間にか、自分の一日を支える音に変わっていた。
その変化に気づいた朝のことを、私は今でも覚えています。
不思議なもので、日本に一時帰国したときには、逆にあの音が恋しくなりました。 静かすぎる朝に、どこか物足りなさを感じている自分がいました。 異国の音だったはずのものが、いつしか、自分にとっての「日常の音」に置き換わっていたのだと思います。
二つ目は、工場へ向かう朝の道です。 道は舗装されていたり、いなかったりします。 バイクが横をすり抜けていき、荷台に山積みの野菜を積んだトラックが、のろのろと前を走ります。 渋滞に巻き込まれても、誰も苛立った顔をしていません。 隣の車のドライバーと、ふと目が合うと、理由もなく笑いかけられることがあります。
日本にいた頃、満員電車の中で、誰とも目を合わせずに立っていた朝を思い出します。 あの頃の私は、朝を「耐える時間」だと思っていました。 今は違います。
工場へ向かう道は、毎日同じです。 それでも、同じ道を五年間歩いているうちに、私はこの街で働く人たちの朝の表情を覚えました。 給料日の朝だけ、少し違う顔をしている人がいることも、知りました。
いつの間にか、誰かの暮らしを預かる立場になっていました。
三つ目は、ロサリビーチの夕日です。 特別な場所ではありません。
屋台が並び、子どもたちが走り回り、若いカップルが海を見ながら座っている。 それだけの場所です。 けれど、夕日が海に沈んでいく数分間だけは、街の音が少し遠くなる気がします。 空が橙色から紫色に変わっていくのを、ただ眺めている。 何を考えているわけでもありません。
ただ、時間が過ぎていく。 日本にいた頃の私は、こんな時間を「無駄」だと感じていたはずです。 今は、この時間こそが、自分を保ってくれているのだと分かります。 何もしていないようで、実はこの数分間だけが、一日のうちで一番、自分に戻れる時間なのです。
アザーン、工場への道、ロサリビーチの夕日。 どれも、観光ガイドには載らない景色です。 わざわざ誰かに紹介するようなものでは、ありません。
この5年間、私を変えてきたのは、まさにこの三つの景色でした。
もし、この街にバリのような有名なビーチリゾートや、ジャカルタのような高層ビル群があったら、私はきっと、それらに気を取られていたと思います。 街そのものを見ようとは、しなかったかもしれません。
けれど、この街には、そういう「分かりやすい看板」が、ありませんでした。 だから私は、仕方なくというより、自然に、朝の音を聞き、渋滞の中で笑いかけられ、夕日を眺める毎日を過ごすようになりました。それを繰り返しているうちに、いつの間にか、この街の時間の流れが、私の中に染み込んでいったのだと思います。
今になって思います。
私は、 マカッサルを好きになったのではなく、
この街で過ごした時間を、好きになったのかもしれません。
五年前の私は、 この街には何もないと思っていました。
今でも、 観光ガイドを開けば、 同じことを書くでしょう。
有名なビーチリゾートもありません。 高層ビル群もありません。 世界遺産もありません。
それでも、 私は、この街が好きです。
マカッサルには、 何もない。
だから私は、
この街を好きになりました。