「楽しい街」では続かない?マカッサルで気づいた、海外生活が長く続く拠点の条件
海外拠点は、人生を派手にする場所ではなく、ブレさせない場所で選ぶ
マカッサルでの生活が、なぜここまで長く安定して続いているのか。それは「楽しい街」ではなく、「生活が勝手に整う街」を拠点に選んだからでした。
マカッサルでの生活を通じて見えてきたのは、海外生活が人を「軽量化」していくプロセスでした。
性格、仕事、所有──削ぎ落とされた先に残ったものについてお伝えします。
海外生活というと、多くの人がまず思い浮かべるのは
「刺激がある」「毎日が新鮮」「自由そう」といったイメージだと思います。
確かに、短期間であればそれは正しいです。
新しい街、安い酒、夜遅くまで続く人の流れ。
そういう場所は、訪れる分にはとても楽しい。
ただ、実際に“住む”となると話は変わります。
私はマカッサルでの生活が長くなりましたが、
ここを拠点にして強く感じているのは、
この街は人生を無理なく続けられる構造をしているということです。
派手さはありません。
でも、だからこそ崩れない。
マカッサルを「最強」だと感じる理由は、
楽しさや刺激ではなく、設計の良さにあります。
「楽しい街」は、長期拠点には向かない
海外拠点を選ぶとき、
つい「住んでいて楽しいかどうか」で判断してしまいがちです。
夜が賑やかで、人が集まり、イベントが多く、
外に出れば何かが起きている街。
短期滞在なら、それでいいと思います。
むしろ最高です。
ただ、長期で生活を回していくと、
その“楽しさ”が、少しずつ負荷に変わっていきます。
毎晩のように誘いがあり、
行くか、断るかを決め続ける。
夜が長い分、生活リズムがずれやすい。
翌日の集中力は、確実に削られる。
これは意志の強さの問題ではありません。
街の構造が、判断力を消耗させる設計になっているだけです。
一方で、マカッサルは驚くほど静かです。
夜は早く終わり、選択肢も多すぎない。
食事は安定していて、生活の大半が一人で完結します。
何かを我慢しなくても、
気づけば生活が整っている。
この「何もしなくても崩れない」という感覚が、
長期では決定的な差になります。
拠点とは、自分を律する場所ではなく、
自分が勝手に整ってしまう場所であるべきだと、
マカッサルで生活していて強く感じます。
日本に戻ると、なぜ疲れるのか
マカッサルでの生活が長くなるにつれて、
日本に一時帰国したとき、ある違和感を覚えるようになりました。
決して嫌いになったわけではありません。
でも、なぜか疲れる。
日本では、
会話の中で「ちゃんと反応する」ことが求められます。
空気を読み、相手の感情を察し、
説明しなくても通じる前提で話が進んでいく。
これは日本の高度な社会性であり、
本来はとても優れた文化です。
ただ、海外の“整う街”で生活していると、
その前提が一気に外れます。
反応しなくてもいい。
雑談しなくても問題ない。
評価や比較の視線も、ほとんどない。
思考と判断が、常に自分の内側で完結する。
この状態に慣れたあとで日本に戻ると、
意識が常に外に引っ張られる感覚が生まれます。
それが「疲れ」の正体です。
能力が落ちたわけでも、集中力がなくなったわけでもない。
単純に、環境の負荷が違うだけなのです。

海外生活が長いと無口になった
マカッサルで長く生活していると、
自分でも驚くほど、言葉が減っていきます。
これは性格が変わったからではありません。
海外では、言葉に必ずコストがかかります。
母語ではないため、誤解が生まれやすく、
説明も必要になる。
その結果、
「本当に必要なことしか話さない」
という癖が自然と身につきます。
さらに、言わなくても生活が回る。
食べることも、暮らすことも、仕事も、
誰かに説明しなくても成立する。
判断も、相談せずに内側で完結するようになります。
そのため、日本に戻ると
「無口」「冷たい」と誤解されることもありますが、
実際にはそうではありません。
話す前に、すでに結論が出ているだけです。
マカッサルという街が持つ、不思議な強さ
マカッサルは、決して国際都市ではありません。
情報も多くないし、洗練されているとも言えない。
それでも、
国際ビジネスや長期海外生活の拠点としては、
驚くほど相性がいい街です。
理由は、静かだからです。
人間関係が軽く、
会食や付き合いが最小限で済み、
固定費も低い。
その分、判断が早くなる。
失敗しても、立て直しやすい。
世界とつながる仕事をしている人ほど、
住んでいる場所は地味になる。
マカッサルは、まさにそういう街です。
物を持たなくなるという変化
海外生活が長くなると、
物がどんどん減っていきます。
引っ越しのたびに負担になる。
管理が増える。
国を跨ぐと、一気に足かせになる。
最終的に残るのは、
仕事と生活のコアになるものだけ。
不思議なことに、それで困ることはありません。
食事は外で完結し、
住居は借り、
思い出はデータに残る。
物を減らすというのは、
過去への執着を減らすことでもあります。
今を基準に生きる感覚が、自然と強くなる。
なぜ、私にとって、マカッサルは「最強」なのか
マカッサルは、人生を派手にしてくれる街ではありません。
でも、人生をブレさせない街です。
生活が勝手に整い、
判断が静かになり、
言葉と物が削ぎ落とされていく。
それは孤立ではなく、最適化です。
必要なときだけ外に出て、
それ以外は、淡々と積み上げる。
マカッサルは、
その生き方が無理なく成立してしまう街です。
だから私は、この街を拠点にしている。
そして今も、「最強」だと感じています。
