55歳になって、ようやく分かったこと 幸せは、探すものではなかった
55歳からの小さな気づき 第1話
夕方になると、私は海へ行きます。
特に用事があるわけではありません。誰かと待ち合わせをしているわけでもありません。ただ、沈んでいく夕日を眺めるために、海辺へ向かいます。
空はオレンジ色に染まり、やがて赤くなり、ゆっくりと夜へ変わっていく。その時間だけは、仕事のことも、明日の予定も忘れます。ただ海を眺めているだけです。
若い頃の私は、そんな時間を「もったいない」と思っていました。何もしない時間は無駄だと思っていました。
でも55歳になった今、ようやく分かったことがあります。
幸せは、探すものではありませんでした。
私は55歳で、インドネシアのマカッサルという街で暮らしています。50歳で日本の会社を辞め、この街で水産業の会社を作りました。その経緯は前の連載に書きましたが、今回からは少し違う話を書いていきたいと思います。この街で暮らすうちに、少しずつ見えてきた、人生の後半についての小さな気づきを、一つずつ綴っていきます。
幸せは、未来にあると思っていた
若い頃の私は、ずっと何かを追いかけていました。
もっと給料が増えたら。もっと仕事がうまくいったら。もっと評価されたら。もっと自由な時間ができたら。
その「もっと」の先に幸せがあると信じていました。だから常に次の目標を探していました。目標を達成しても、また次の目標が現れる。その繰り返しです。
もちろん、その時間も決して無駄ではありませんでした。仕事を通して成長しました。たくさんの人と出会いました。家族を支えることもできました。
でも振り返ると、私は「今」よりも「次」を見て生きていたような気がします。幸せは未来にある。そんな思い込みを、長い間持ち続けていました。
インドネシアで見た「何もしない時間」
インドネシアへ来て、最初は驚くことばかりでした。時間の流れが違う。仕事の進み方も違う。予定通りに進まないことも多い。最初の数年は、その違いに戸惑い続けました。
でも、少しずつ気付くことがありました。
こちらの人たちは、とてもよく笑います。家族と食事をする時間を大切にします。夕方になると、海辺でただ座っている人がいます。子どもたちは日が暮れるまで遊び、大人は屋台でコーヒーを飲みながら話をしています。誰も急いでいません。
最初の私は、それを「効率が悪い」と思っていました。
でも今は少し違います。彼らは「今」という時間を、とても大切にしているのです。
幸せは、大きな出来事ではなかった
私は50歳で会社を辞めました。インドネシアへ来ました。会社を作りました。人生が大きく変わった出来事です。
でも、55歳になった今、一番幸せを感じる瞬間は、そのような大きな出来事ではありません。
朝、猫たちが玄関まで迎えに来ること。スタッフと冗談を言いながら昼ご飯を食べること。市場で漁師さんと笑いながら話すこと。夕方、海を眺めながら一日を終えること。家族と日本語で電話をすること。
どれも特別な出来事ではありません。でも、その積み重ねが、今の私の毎日を作っています。
幸せとは、大きな成功ではなく、小さな日常の中にある。
55歳になって、ようやくそう思えるようになりました。
「足りないもの」ではなく、「あるもの」
若い頃は、いつも足りないものを数えていました。もっとお金が欲しい。もっと時間が欲しい。もっと能力が欲しい。もっと評価されたい。
もちろん向上心は大切です。でも、その考え方だけでは、いつまで経っても満たされません。一つ手に入れても、また次が欲しくなるからです。
今は少し考え方が変わりました。足りないものではなく、今あるものを見るようになりました。
今日も健康でいられたこと。仕事があること。支えてくれる仲間がいること。第二の故郷と呼べる街があること。夕日を眺める時間があること。
それだけでも、十分幸せなのではないか。そんなふうに思う日が増えました。
幸せは、自分のすぐ近くにあった
私はずっと、幸せは遠くにあると思っていました。頑張って、努力して、何かを手に入れた先にあるものだと思っていました。
でも違いました。
幸せは、探しに行くものではありませんでした。立ち止まった時に、初めて見えるものだったのです。
だから最近は、海を眺める時間を大切にしています。何もしない時間を、大切にしています。
遠回りをしたからこそ、ようやく気付けたことなのかもしれません。
次回は、
「人は、自分が思うほど他人を見ていない」
というテーマについて書いてみたいと思います。
若い頃は、人の評価ばかり気にしていました。でも今振り返ると、それは思い込みだったのかもしれません。