マカッサルで暮らす。帰る場所が、二つになった。 ·
インドネシア行きの飛行機に乗ります。 機内アナウンスが、日本語から、英語とインドネシア語に変わる。 その瞬間の切り替わりに、以前は、少し身構えていました。
以前は、
「また仕事が始まる」
そう思っていました。
けれど、最近は、少し違います。 飛行機がマカッサルに近づき、窓の外に海が見えてくると、
「ああ、帰ってきた」
そう思うようになりました。 その瞬間、自分でも、少し驚きました。 着陸態勢に入り、機体が傾き、見慣れた海岸線が見えてくる。 その景色を、いつからか、無意識に探すようになっていたのです。
最初にこの街へ来た頃、マカッサルは、仕事をする場所でした。 工場があり、従業員がいて、タコを集める街。 住む場所ではありませんでした。 カレンダーに、一時帰国の日付を丸で囲み、その日までを、頭の中で逆算していました。 あの頃は、その日だけを楽しみに暮らしていたのだと思います。
けれど、いつの間にか、変わりました。
いつものカフェ。 いつものスーパー。 いつもの散歩道。 いつもの市場。
「いつもの」が、少しずつ、増えていきました。
ある日、出張から戻る車の中で、見慣れた交差点が見えてきたとき、肩の力が、すっと抜けたことがありました。 特別な景色ではありません。 ただの交差点です。 けれど、その景色を見て、初めて、自分がほっとしていることに気づきました。
日本に一時帰国すると、
「あの店のパルバサが食べたい」
そんなことを考えるようになりました。
日本へ帰れば、もちろん、安心します。 家族もいます。 友人もいます。 何年ぶりかの居酒屋で、昔の同僚と、昔話に花を咲かせることもあります。 やっぱり、日本は日本です。
けれど、数日もすると、
工場はどうしているだろうか。 スタッフたちは、元気だろうか。 今日は、どんな一日だったのだろうか。
そんなことを、ふとした瞬間に、考えている自分がいます。 居酒屋の座敷に座りながら、頭の片隅では、マカッサルの工場の様子を思い浮かべている。 そんな自分に気づいて、少しおかしくなったこともあります。
先日、空港のカウンターで、航空券を見せながら、係の人に、行き先を聞かれたことがあります。
日本を出発するとき、以前の私は、
「インドネシアへ行きます」
と言っていました。 今は、自然に、
「マカッサルへ帰ります」
と答えている自分がいました。 誰に教わったわけでもありません。 いつの間にか、言葉が変わっていました。
人は、生まれ育った場所だけを、故郷と呼ぶのだと思っていました。 場所を選ぶのは、いつも自分の方だと、思い込んでいたのかもしれません。
けれど、長く暮らした場所も、少しずつ、心の中で「帰る場所」になっていくようです。
日本は、今でも、私の故郷です。 そして、マカッサルも、もう一つの、帰る場所になりました。
日本にいるときは、 マカッサルのことを思い、 マカッサルにいるときは、 日本のことを思う。
そんな暮らしも、 悪くありません。
帰る場所は、 生まれた場所だけではなく、 暮らした時間が作ってくれるものなのかもしれません。