50歳を過ぎて、初めて見えてきた「時間」の話 ジャム・カレットの国で気づいたこと
50歳から人生を変えてみた 第6話
最近、よく思うことがあります。
1日が短い。
若い頃はそんなことを感じませんでした。1日は1日。24時間は24時間。当たり前のように、ゆっくりと過ぎていくものだと思っていました。
しかし55歳になった今、朝起きてから夜になるまでが驚くほど早い。
気が付けば夕方になっている。気が付けば1週間が終わっている。気が付けば、もう半年が過ぎている。
もちろん年齢の影響もあるのでしょう。でも私には、もう一つ理由がある気がしています。
50歳で日本を離れ、インドネシアで暮らすようになったことです。
不思議なことに、この感覚に強く気づかせてくれたのは、日本ではありませんでした。インドネシアという、時間の流れ方がまったく違う国でした。
ジャム・カレット、という言葉
インドネシアには「ジャム・カレット」という言葉があります。
直訳すると「ゴムの時計」。約束の時間が、ゴムのように伸び縮みするという意味です。
10時に約束しても、相手が来るのは10時半。それでも誰も驚きません。怒る人もあまりいません。それが普通だからです。
最初は戸惑いました。日本人の感覚では、時間は守るものです。10時の約束は10時に始まる。それが当たり前でした。
しかしインドネシアでは違います。時間は、もう少し緩やかなものとして扱われています。
苛立ちから、気づきへ
正直に言うと、最初の数年は苛立つことが多かったです。
なぜ時間通りに来ないのか。なぜ会議が予定通り始まらないのか。なぜ「明日には終わります」と言われたことが、1週間経っても終わらないのか。
私は何度も心の中でため息をつきました。
しかし、ある時ふと気づいたのです。
インドネシアの人たちは、時間に追われていない。会議が遅れても、誰かを責めない。予定が変わっても、大きく動揺しない。今この瞬間の会話や、目の前の人との関係を、時間より優先している。
それは、私が日本で当たり前だと思っていた「時間に正確であること」とは、まったく違う価値観でした。
私はずっと、時間に追われていた
そこで初めて、自分自身を振り返りました。
日本で会社員をしていた頃、私は常に時間に追われていました。朝のスケジュール。午前の商談。午後の会議。移動時間。締め切り。報告書の提出期限。
すべてが分単位で管理されていました。
それが悪いことだとは思いません。むしろ、日本の正確さや効率の良さは世界に誇れるものだと思っています。
しかし、その正確さの中で、私は何かを置き去りにしていたのかもしれません。
目の前の時間を、ただ「消化するもの」として扱っていたのです。次の予定。その次の予定。さらにその次の予定。
気づけば1日のほとんどが、「次のこと」を考えるための時間になっていました。
「速い」と感じる本当の理由
55歳になった今、1日が短く感じる。
最初はそれを、単に年齢のせいだと思っていました。よく言われることです。年を取ると時間の流れが速く感じる。1年が、子どもの頃の何分の一かに感じられる。そんな話を聞いたことがある人も多いと思います。
しかし、インドネシアでの経験を経て、私は少し違う考えを持つようになりました。
時間が速く感じるのは、年齢のせいだけではない。「今、ここ」に意識を向けている時間が減っているからではないか。
予定をこなす。タスクを片付ける。次の予定に移る。その繰り返しの中で、私たちは「今」を味わう時間を少しずつ失っているのではないか。
インドネシアの人たちが、約束の時間にルーズである代わりに、今この瞬間の会話や食事や人との時間を大切にしている姿を見て、そう思うようになりました。
時間を取り戻す、という感覚
もちろん、私はビジネスをしている以上、時間にルーズになることはできません。納期は守らなければならない。約束も守らなければならない。それは経営者として当然のことです。
しかし、効率だけを追い求める時間の使い方から、少しだけ距離を置くようになりました。
スタッフと、業務とは関係のない話をする時間。夕方、海辺を眺めながら何も考えない時間。家にいる猫たちと、ただ過ごす時間。
そうした時間を、以前の私は「無駄」だと思っていたかもしれません。次の予定のために、できるだけ早く終わらせるべき時間だと。
でも今は違います。
それらの時間こそが、1日を「長く」感じさせてくれる時間なのだと気づくようになりました。
時間は、誰と何に使うかで変わる
55歳になって思うのは、時間というのは長さよりも質なのだということです。
同じ24時間でも、すべてを「次のこと」のために使っている1日と、誰かと、何かと、しっかり向き合う時間がある1日とでは、終わった時の感覚がまったく違います。
前者は、あっという間に過ぎ去ります。後者は、不思議と長く深く心に残ります。
インドネシアという国は、私に効率の正しさを教えてくれたわけではありません。むしろその逆です。
効率を少し手放すことで見えてくるものがある。そんなことを教えてくれました。
私が本当に変えたかったもの
50歳で会社を辞めた時、私は人生を変えたいと思っていました。環境を変えたいと思っていました。働き方を変えたいと思っていました。
しかし今振り返ると、本当に変えたかったのは人生そのものではなかったのかもしれません。
私は、自分の時間の使い方を変えたかったのです。
誰と時間を過ごすのか。何に時間を使うのか。何を大切にして生きるのか。それを自分で選びたかった。
55歳になった今、そう思います。
会社を辞めたこと。インドネシアへ来たこと。会社を作ったこと。もちろん大きな出来事でした。
でも、その先にあった本当の変化は、「時間との向き合い方」が変わったことだったのかもしれません。
これからの時間について
人生は、思っているより短い。
そのことは、これまでの連載でも何度か書いてきました。
しかし最近は、こうも思います。
短い人生の中で、何にどれだけの時間を使うか。それを選び直せるのも、50歳を過ぎてからなのではないかと。
20代や30代の頃は、目の前のことに追われて、時間の使い方を選ぶ余裕すらありませんでした。しかし50代になった今、少しだけ、その選択ができるようになった気がします。
何に時間を使うか。誰と時間を過ごすか。
それを自分で決められることこそ、年齢を重ねたことで得られた、一番の自由なのかもしれません。
次回は、
「マカッサルという、第二の故郷」
について書いてみたいと思います。
なぜ私が、この南スラウェシの街に、これほど愛着を持つようになったのか。その理由をお話ししたいと思います。
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