【インドネシア渡航】周囲たった600mしかない小さな離島訪問記(その2)

Makassar

天候はだいぶ回復していましたが、高波はそう簡単には解消されません。船は、小型ではありますが、しっかりとした作りですので、渡し船やスピードボートのような波に持っていかれるような感覚はなく、しっかりと高波に順応して進んでいきます。大きく揺れながらも目標の島に向かって一直線で向かっていきます。久しぶりの船であったため、船酔いの心配もありましたが、他のメンバーが船酔いで苦しんでいる時に、自分はビールを飲みながら大きく揺れる船で移動しても全く変化なく、改めて酔には強い事を実証しました。

今回チャーターした船の速度は、毎時5ノット程度(時速9Km/h)で進みます。1ノットとは、1時間に1マイル進む速度です。陸上で使うマイルは、1マイル=1760ヤード=1609.344mですが、海上や空路で使うマイルは、1マイル=1852mとなります。陸上と分けるため、シーマイルや日本では海里と言います。子午線1分角が1マイルとなっていますので、10ノットで6時間進むと子午線1度角分進んだ事になり、感覚的にどれくらい進んだか解るとのことです。ちなみに子午線が、北極から赤道までの90度分の距離は10000Km(1mはそう定義されています)ですので、10000km÷90(度)÷60(分角)=1.852Km=1852mと1マイルの計算が簡単にできます。

島までの直線距離は18Kmですので、毎時5ノットで進むと約2時間で到達できる事が計算できます。最近はGoogle Earthで2点間の距離を計測できるので便利です。

船は遅いながらも順調に進み、途中バランチャディ島とバランロンポ島の間を抜けていくと目的の島ボネタンブ島にまもなく到着です。島の近くに入ると、海の色が濃い青から急に明るい緑色に変化し、サンゴ礁の海底が見えてきます。水深がだいぶ浅くなっているため、船は座礁しないよう、沖でイカリを降ろして停泊します。しばらくすると小型のボートが迎えにきてくれて、船を乗り換えて上陸となります。海水は透明で澄んでいるため、珊瑚や魚を手にとるように見ることが可能です。島に段々近づき、島の全貌が見えてきます。思わず、これは小さい離島だと確信できます。上陸すると多くの島の子どもたちとアヒルの大群に迎えてもらいました。

島は珊瑚による石灰質の白い砂浜が隆起していますが、上陸するとそれが、全て平地であることがわかります。つまり、海抜1m程しかない平べったい陸地に人々が生活をしているという光景です。

そのまま、漁師の家に招かれ話を伺う事となりました。
島内には、家が175棟建っており、400世帯約1000人の島民が住んでいるそうです。島民の95%は漁業で生計を立てており、残りの5%は役所や学校の先生だそうです。昼間の間は、電気はなく、夜だけ発電機で電気が通ります。携帯電話は、島の真ん中に大きなアンテナがあり携帯が通じます。

島内に漁民は200人いて、各自小舟を持って魚を漁獲しています。珊瑚礁の海に集まってくる魚は多種多様で、釣りや素潜りで漁獲します。漁獲した魚は島内に5人いる集荷人に現金と引換で魚を渡して暮らしています。漁民の平均所得は、月15000円程度です。島内では自分が獲ってきた魚があるので、お米や鶏肉や野菜等を買うお金しか使わないので、貧しさは全く感じられません。

その後、島内を1周案内してもらいました。島の中心には大きな砂の広場があり、運動がでように整備されています。中心広場を囲むように家が建てられていて、家以外では、立派なイスラム教のモスクや、小学校が建っています。商店のようなものはなく、自宅の軒先にお菓子や飲み物を販売しているようです。

大きな体育館のような施設があり中を覗いてみると、屋内バトミントン場があり、バトミントンが人気のインドネシアらしいと感じる施設です。

島内には、子どもたちが大勢いて、にぎやかに遊んでいます。子どもたちが皆でじゃれ合って遊ぶ姿は、昭和の日本を思い出すような懐かしさを感じます。携帯やゲームで遊ぶ姿はまったくありません。

ある子供が大きなバケツに魚を持ってきます。よく見るとサメの子供でまだ生きています。サメのことを「ヒユ」と言うらしく、「ヒユ」「ヒウ」と言いながら、獲れたてのサメ見せてくれる健気な子どもたちに癒やされました。

200mほど進むと、すぐ対岸になりました。つまり、この島は周囲600mの島であることが理解できます。この小さな島に家がドーナツ状に建てられ、真ん中に広場があることも、Googlemapで確認できます。まさに砂浜の上に住んでいる状態です。そんな小さな離島で暮らしている島民がみんな、笑顔なのが印象的です。

豊かさの本当の本質は何なのか。離島に暮らすのは豊かではないのか、と短絡的に考える前に、豊かさについて、再度考えてみました。

不幸がない社会=貧しくないことが豊かさである

「豊かな社会=極端に不幸な人間が少ない社会」ではないかという考えです。 積極的に豊かさを考えるのではなく、「貧しくない」こととして豊かさを考えるという点ではネガティブな定義をする考え方ですが、豊かさに関しては多様な考えがあることに比べたら、貧しさについては広く合意が得られるいい発想かもしれません。

豊かさと言うのは、どんな地域に住んでいても、同じ社会生活を営め、物質的にも、精神的にも豊かな社会ではないかとそう思いました。

1度きりの訪問で、しかも島民すべてに話を聞いたわけではありませんが、貧しくないは結果的に豊かになる事で、最低限の生活かもしれないが、魚という天然の海の恵みを、生活する分だけ獲ってきてお金にするという単純な経済活動によって生まれる報酬でも、十分な生活ができる事を実証しています。

少なくとも、マカッサル近くの小さな小島では6万人以上もの漁民達が離れた小島に住み着いて生活しています。最近の人口統計を見ても島民は減るどころかさらに増えているとのことです。理由は、不幸がない社会が実現できている事を証明しています。

確かに、教育の問題や医療の問題なども十分ではない環境でありますが、なにか島民にとって少しでも今よりもっと生活が豊かになれるように、漁民の所得向上に向け、活動を続けていこうという決意がこの漁民家族を見ていて固まりました。

現状、漁獲してから消費者が魚を食べるまでの途中で鮮度が悪くなり、魚の美味しさが無くなってしまう現実があります。集荷人にリレー式で渡り、マカッサルになるべく早く持ってくるという流通システムがいまだ不十分なため起こる目詰まりを解消し、新鮮なまま1次2次加工ができるような流れを構築する手がかりを探していきたいと思います。

海の恵みである、この魚達がもっとおいしく、付加価値を生んで高く買ってあげられるシステムを構築して、島の漁民家族のために仕事をしていきたいと改めて感じて、島を出発しました。

 

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