マカッサル暮らし、6年目。自分はここで何をしたかったのだろう
2021年10月21日。私が日本を出発し、インドネシアでの生活を始めた日です。
インドネシアでの生活が丸5年になりました。
正直に言えば、「6年目に入りました」というより、「6年目に入ってしまった」という感覚に近いです。長かった気もしますが、振り返ると、あっという間でした。
始まりは、ジャカルタのホテル隔離だった
5年前の渡航時のメモが残っていました。
朝4時半に起き、5時半に自宅を出発。電車を乗り継いで、成田空港へ向かっています。

当時は、まだコロナ禍でした。空港のラウンジでは、午前11時までアルコールの提供がなく、「烏龍茶で乾杯」と書いてありました。その前には「残念である」の一言。これから始まる生活を前に、本当はビールで乾杯したかったのだと思います。
ジャカルタ行きのJAL725便は、搭乗客が30人ほど。到着後は、ワクチン接種証明やPCR検査の確認が続きました。
空港でPCR検査を受け、入国審査と税関を抜けてから、検査結果とホテルへの送迎を待ちます。1時間半ほどと言われたものの、結局、迎えの車に乗れたのは約4時間後でした。

「結構密であるが仕方ない」
「トイレも行きたいが荷物があるので動けない」
ようやく隔離先のホテルに着くと、部屋は角部屋。「ラッキーである」と、ここだけ少し嬉しそうです。夕食が出るか分からなかったので、ルームサービスを頼みました。ポテトフライとおかゆ、それにビールを2本。
ところが、思っていた以上の量が届き、そのうえナシゴレンまで到着しました。

「ナシゴレンは翌朝にまわそう」
渡航初日のメモは、そんな一文で終わっています。
50歳で会社員生活に区切りをつけて来たインドネシア。その始まりは、空港での長い待ち時間と、ホテルの部屋で食べきれない夕食でした。

隔離を終えてマカッサルへ移り、その年の12月に会社を立ち上げました。タコを集め、加工し、日本へ送る。気がつけば日本人会の活動にも関わるようになり、毎日、何かに追われるように過ごしてきました。
5年住んで、慣れたこと
5年も住めば、変わることはたくさんあります。
最初は分からなかった道も、今では地図を見なくてもどこにいるかわかります。雨季と乾季の移り変わりや、約束の時間どおりに物事が進まない感覚にも、それなりに慣れました。「インドネシアだから、こういうものだ」と思えることも増えました。
来たばかりの頃に比べれば、ずいぶん落ち着いて物事に向き合えるようになったと思います。
それでも、問題はなくならない
ただ、慣れたからといって、問題がなくなるわけではありません。
原料が思うように集まらない時期がある。為替が動けば、計算が一気に狂う。資金のこと、人のこと、急に変わる制度のこと。一つ片づいたと思えば、また次の問題がやってきます。
慣れで乗り切れることは増えました。でも、慣れだけではどうにもならないことも、まだたくさんあります。
本当に、これがやりたかったことなのか
最近、ふと考えることがあります。
これは本当に、自分がインドネシアでやりたかったことなのだろうか。
日本の水産業界に25年いて、50歳で外に出た。そのとき、自分の手で何かを形にしたい、インドネシアの海と日本をつなぎたい、という思いがありました。
今やっていることが、それとまったく違うわけではありません。けれど、日々、目の前の問題への対応に追われ、あの頃に思い描いていたことと今との間に、少し距離を感じることがあります。
計画どおりにいかないのは、仕方がないのか
計画どおりに進まないことは、最初から覚悟していました。海外で、一から会社をつくるのですから。
それでも5年が経った今、それを「仕方がない」で片づけてよいのか、と考えてしまいます。
「仕方がない」と受け止めることで、前に進めた日もありました。その一方で、その言葉を理由に、見直すべきことを先送りしてきたのではないか、とも思うのです。
どちらが正しいのか、今もはっきりとは分かりません。悩ましい限りです。
それでも、5年続いた
ただ一つ言えるのは、この5年間、なんとか続けてこられたということです。
助けてくれた人がいて、取引を続けてくれる相手がいて、一緒に働いてくれるスタッフがいる。5年前と比べれば、人とのつながりも、仕事の積み重ねも増えました。
6年目に入って
6年目をどうするかが、これからを左右するのだと思います。
自分はここで何をしたかったのか。そして、これから何をしたいのか。日々の仕事をしながら、もう一度考えてみたいと思います。
もちろん、明日になれば、また目の前の問題への対応が待っています。それでも、忙しさの中で考えずに済ませてしまわないようにしたい。
悩みは尽きませんが、今日からマカッサル暮らしの6年目が始まります。