人生は、伏線だらけだった。日本から持ってきても、売れない。
第7話
2014年10月。
私は初めて、インドネシアの地に降り立ちました。
インドネシアのタコとは、すでに日本の工場で出会っていました。でも、自分がインドネシアへ行くのは、これが初めてでした。
きっかけは、中小機構のFS調査でした。インドネシアで、日本のボイルタコを販売できないだろうか。そんな可能性を調べるため、私は一週間ほど現地を回ることになりました。
最初に訪れたのは、ジャカルタでした。ちょうどその日は、ジョコ・ウィドド新大統領の就任の日でした。街には大勢の人が集まり、中心部は、いつもとは違う熱気に包まれていました。
新しい大統領が誕生し、インドネシアが新しい時代へ向かおうとしている。初めてこの国を訪れた私には、その熱気がとても印象的でした。
まさか自分自身も、この日を境にインドネシアとの長い付き合いが始まるとは、もちろん知るはずもありませんでした。
調査では、現地の日系企業や食品関係者を訪ね、日本のタコに需要があるのか、どのくらいの価格なら売れるのか、どんな商品が求められているのか、話を聞いて回りました。
当時の私が考えていたのは、日本で作ったボイルタコをインドネシアへ輸出して販売することでした。インドネシアには富裕層もいる。日本食レストランも増えている。日本で作った品質の良いタコなら、売れるのではないか。そんな期待がありました。
ところが、ある日、訪問した日系食品問屋の社長から、思いもしなかったことを言われました。
「日本から輸入したボイルタコなら、私は買わない。」
少し驚きました。品質の問題なのかと思いました。でも、理由は違いました。
私は、日本で作った良い商品を持ってくれば売れると思っていました。その前提を、最初からひっくり返されたのです。
「インドネシアでタコが獲れるでしょう。」
そして、こう続きました。
「インドネシアのタコを、インドネシアの工場でボイルして、その品質が良ければ買います。」
その言葉は、今でも覚えています。日本から輸入すれば、どうしても価格が高くなる。いくら富裕層がいるとはいえ、高すぎる商品は広がらない。インドネシアで商売をするなら、現地の人たちにも手が届く価格と、日本の商品として通用する品質。その両方が必要だという話でした。
言っていることは、よく分かりました。でも同時に、「そんなこと、本当にできるのだろうか。」と思いました。
インドネシアでタコを仕入れる。インドネシアで工場を探す。そこで日本向けと同じような品質のボイルタコを作る。言葉も分からない。現地の事情も分からない。工場もない。仕入先も知らない。初めてインドネシアへ来たばかりの私には、あまりにも遠い話に思えました。
それでも、その言葉が頭から離れませんでした。日本から商品を持ってくるのではなく、インドネシアで作る。今振り返れば、その日初めて、「インドネシアでタコを作る」という考えが、私の中に入ってきたのだと思います。
一週間ほどの調査が終わり、帰国の日が近づきました。いろいろな人に会い、いろいろな話を聞きました。でも、結局どうすればいいのか。すぐに答えが出たわけではありませんでした。むしろ、調査をすればするほど、簡単ではないことが分かってきました。
そんな調査の最終日でした。同行していた中小機構の課長から、こんなことを言われました。その方は、JICAから中小機構へ出向されていました。
「JICAの中小企業海外展開の事業に、応募してみたらどうですか。」
JICA。当時の私には、それほど身近な存在ではありませんでした。でも、その言葉を聞いたとき、
「ここで終わりにしたくない。」
と思いました。せっかくインドネシアまで来た。タコが獲れることも分かった。現地で作れば買うと言ってくれる人もいる。でも、どうやってそこまでたどり着けばいいのかが分からない。帰国する飛行機の中でも、そのことを考えていました。
この一週間で、二人の人から、二つの言葉をもらいました。
「日本から輸入したボイルタコなら、買わない。」
そして、
「JICAの事業に応募してみたらどうですか。」
一人は、私が考えていたやり方では売れないと教えてくれました。もう一人は、それでも先へ進む方法があると教えてくれました。
当時の私には、この二つの言葉が、その後の人生を大きく変えることになるとは分かりませんでした。ただ、ここで終わりにしたくない。その気持ちだけは、はっきりしていました。
帰国したとき、何かが決まっていたわけではありません。工場もない。仕入先もない。資金もない。ただ、「インドネシアで作る」という言葉だけが、頭の中に残っていました。
2014年10月。初めて訪れたインドネシア。新しい大統領が誕生し、この国が新しい時代へ向かおうとしていた日。私もまた、自分ではまだ気づかないまま、新しい方向へ歩き始めていました。
人生は、伏線だらけだった。
続く。