なぜブルネイはマレーシアと別れたのか?小国が“超富裕国”になった歴史と仕組み
ボルネオ島にある小国ブルネイは、なぜマレーシアに参加せず単独独立を選んだのか。そして、人口わずか約45万人でありながら、なぜ東南アジア屈指の超富裕国になれたのか。王室が守った石油収入、税金ゼロの福祉国家、イスラム国家としての統治、観光が伸びない理由まで、現地滞在の実感を交えながらわかりやすく解説します。
モールで感じた疑問
The Mall Gadong でのショッピングを終えた頃、ふと頭に浮かんだ疑問がありました。
「なぜブルネイは、マレーシアとは別の国として存在しているのだろう?」
地図を見ると一目瞭然ですが、ブルネイはボルネオ島北部に位置し、マレーシアのサバ州とサラワク州にすっぽり挟まれた小国です。同じくイギリスの影響下にあり、マレー文化圏に属していたはずなのに、最終的には別々の国家として歩むことになりました。
そしてもう一つの疑問。
「なぜ、これほど小さな国が、東南アジア屈指の“豊かな国”になれたのか?」
この二つの問いに答えるために、ブルネイの歴史と経済の背景を少しだけ深掘りしてみたいと思います。
なぜブルネイはマレーシアに参加しなかったのか
実は、1963年にマレーシア連邦が結成される際、ブルネイも加盟予定の「候補の一つ」でした。ところが最終的にブルネイは連邦への参加を見送り、そのまま英国の保護国として残り、1984年に単独で完全独立を果たします。
当時、ブルネイがマレーシアへの加入を断念した背景には、いくつかの要因が絡み合っていました。
理由①:王室が権力の維持を最優先した
マレーシア連邦に加盟した場合、ブルネイ側には次のような懸念がありました。
石油・ガス収入の一部を連邦政府に配分しなければならない
スルタンの政治的権限が、マレーシア憲法の枠内で制限される可能性がある
内政に連邦政府の影響が及ぶ
19世紀以降、ブルネイは周辺地域を次々と失い、領土を大きく縮小してきました。その経験から、王室は「これ以上権威や主権が弱まること」に非常に敏感になっていたとされています。
最終的に、当時のスルタン・オマル・アリ・サイフディン3世は、油田収入や王権に関する条件に満足できず、1963年7月の段階でマレーシア加盟を正式に見送ります。
理由②:石油資源を自国でコントロールしたかった
ブルネイの富の源泉は、何と言っても石油と天然ガスです。
連邦加盟案では、将来的に石油収入の多くを連邦政府が管理する形になる可能性がありました。スルタン側は、これを最も大きなリスクと考えたと言われています。
実際、現在でもブルネイの政府歳入の大部分(およそ9割)が石油・ガス関連からもたらされているとされ、単独でこの収入を管理できていることが、ブルネイ財政の柱になっています。
理由③:1962年の「ブルネイ反乱」
1962年には、北ボルネオ一帯で独立国家の樹立を目指した「北カリマンタン民族党(PRB)」が、ブルネイで武装蜂起を起こしました。いわゆる「ブルネイ反乱」です。反乱自体は英軍の介入により鎮圧されましたが、国内の政治不安が露呈する出来事となりました。
こうした治安上の問題もあり、「不安定な状況で連邦に参加するのは得策ではない」という判断が強まり、加盟は先送りされ、そのまま立ち消えとなります。
マレーシアはどう成立したのか
一方、現在のマレーシアは次の地域が合流して成立しました。
- マラヤ連邦(マレー半島部:1957年独立)
- サラワク(旧英領植民地)
- サバ(旧北ボルネオ英保護領)
- シンガポール(1963年加盟 → 1965年離脱)
これらの地域は、イギリス統治の仕組みや行政制度が比較的似通っていたため、連邦としてまとまりやすかった側面があります。その中で、あえて単独の道を選んだのがブルネイでした。
ブルネイが単独独立を選んだ理由
総合すると、ブルネイがマレーシアに入らなかった理由は、次のように整理できます。
王室の権限と主権を守りたかった
石油・ガス収入を自国だけで管理したかった
反乱や治安問題により、加盟どころではない状況になった
英国保護国として「スルタン国」という枠組みが維持されていた
こうした理由から、ブルネイはマレーシアとは別の道を選び、最終的に1984年に単独で完全独立を果たしたのです。
なぜブルネイは小国なのに豊かなのか
ブルネイは国土も人口も非常に小さい国ですが、東南アジアで最も豊かな国の一つとされています。その背景には、単に「石油があるから」というだけでなく、政治体制や人口構造、歴史的な経緯が密接に関わっています。
理由①:圧倒的な石油・天然ガス収入
ブルネイは面積こそ小さいものの、人口約45万人ほどに対して非常に大きな石油・ガス資源を持つ国です。
原油・天然ガスの輸出が、輸出総額のほとんどを占める
政府歳入の大半が石油・ガス関連収入に依存している
人口に対して資源が突出して多いため、「国は小さいのに、財源は中東産油国レベル」という構図になっているのが特徴です。
理由②:人口が極端に少ないので富が薄まらない
ブルネイの人口は、インドネシアの大都市と比べると驚くほど少ない規模です。
約45万人前後で、バリ島の人口の一割以下、ジャカルタの数十分の一程度
そのため、石油から得られる利益を国民に分配しても「薄まりにくい」構造になっています。この結果、次のような“オイル・ウェルフェア国家”が成立していると言われます。
個人所得税が事実上ゼロ(法人税は存在)
公立医療は極めて低額で利用でき、場合によっては海外治療費を政府が負担する例もある
教育費は大学まで基本的に無償で、留学支援制度も充実
公務員には住宅や土地の優遇措置があり、安定した高水準の給与が支払われているとされる
こうした手厚い福祉が、国民の不満を抑え、政治の安定にもつながっています。
理由③:王室による安定した統治
ブルネイはスルタンによる立憲的な絶対君主制で、政権交代による大きな混乱がありません。
石油収益の管理が王室・政府に一元化されており、政策の方向性も比較的ブレが少ないとされています。もちろん、一党独裁・王制国家ならではの問題もありますが、少なくとも治安や行政の安定という点では、大きな強みになっています。
理由④:英国型の行政システムを引き継いだ
ブルネイは長く英国の保護国だったため、行政や法制度の多くにイギリス流の仕組みが取り入れられました。
税制が比較的シンプルで分かりやすい
公務員制度が整備されており、官僚機構が効率的に機能している
「植民地時代の負の側面は比較的少なく、制度面の“良いところ”を引き継いだ」と評価する研究者もいるほどです。
理由⑤:治安が非常に良く、汚職も比較的少ない
石油依存国家では、汚職や治安悪化が問題になることも少なくありませんが、ブルネイは東南アジアの中では治安が良い国として知られています。
アルコールや麻薬に対する規制が厳格で、イスラム教に基づく社会規範が徹底されていることもあり、犯罪発生率は比較的低く抑えられています。

ブルネイ国民はどれくらい「国から支えられている」のか
ブルネイは、よく「東南アジア版・オイルマネー福祉国家」と表現されます。石油収益を背景に、国民向けの給付や優遇措置が非常に手厚いからです。
主な優遇・給付は次のようなものです。
所得税:個人は非課税
給与所得に対する個人所得税は基本的にありません。
医療:非常に安価で利用可能
公立病院はほぼ無料に近い水準で利用でき、場合によっては国外での高度治療費を政府が負担するケースもあります。
教育:大学まで無償
初等教育から高等教育まで授業料は原則無料で、優秀な学生には海外留学の奨学金制度も整備されています。
住宅・土地の優遇
公務員には政府住宅が低価格で提供され、一般国民にも土地の分譲や住宅ローン支援などが行われています。
公務員給与の高さ
公務員の給与水準は東南アジアでもトップクラスと言われ、安定した雇用と手厚い福利厚生がセットになっています。
こうした仕組みが、政治的な不満を抑える「安全弁」として機能している側面も否めませんが、結果として国民生活の安定には大きく寄与しています。

石油が枯れたらどうなる? ブルネイの将来課題
もちろん、ブルネイにも大きな悩みがあります。それが「石油依存からの脱却」です。
政府歳入の大半、輸出のほとんどが石油・ガス関連という“一本足打法”である以上、資源価格の変動や生産量の減少は、そのまま国家財政のリスクになります。
2030〜2040年代にピークアウトの予測
多くの研究機関は、ブルネイの石油・ガス生産が2030〜2040年代にピークを迎え、その後は徐々に減少していくと予測しています。枯渇というよりも、「採算の取れる生産量が徐々に減っていく」というイメージです。
多角化は進んでいるが、まだ道半ば
ブルネイ政府は、
- 観光
- ハラール食品産業
- イスラム金融
- 軽工業・製造業
- 外資誘致
といった分野での多角化を進めようとしていますが、現時点では石油・ガスほどの規模には到底及びません。
さらに、国民の多くが「安定した高給の公務員」を志向する構造もあり、民間セクターの人材不足が慢性的な課題になっています。
石油後の最大の強み:「北ボルネオの安定国」
とはいえ、ブルネイには石油以外の強みもあります。
政治的に安定している
治安が良い
イスラム金融などニッチな分野でポテンシャルがある
サバ州、サラワク州、インドネシア・カリマンタンの成長圏の真ん中に位置する
これらを活かせば、「北ボルネオの安定した拠点都市」として、物流・金融・ビジネスサービスのハブになる未来も十分に考えられます。
イスラム国家なのに女性の地位が比較的高い理由
ブルネイはイスラム国家ですが、女性の社会進出は比較的進んでいます。
理由①:王室・政府が女性の教育を重視
女子の高等教育進学率は高く、大学によっては女性比率が男性を上回る学部も少なくありません。統計でも、第三次教育(大学・短大など)で女性の就学率が男性を上回る年が続いていると報告されています。
理由②:豊かな財政による社会インフラの整備
財政的な余裕があるため、教育機会や職業訓練が整備され、女性も教育を受けやすい環境にあります。
理由③:マレー系イスラム文化の穏健さ
サウジアラビアやアフガニスタンのような厳格なイスラム国家とは異なり、マレー系イスラム文化は比較的穏健です。服装や行動規範には一定の制約があるものの、
教師
医師
公務員・官僚
といった職種で、女性が当たり前のように活躍しています。
まとめ — ブルネイという国の特異性
改めて振り返ると、ブルネイという国は、実にユニークな存在です。
マレーシアに入らなかったのは、王室が権力と主権、そして石油収入を守りたかったから
小国なのに豊かなのは、石油・ガス収入と少ない人口、そして比較的効率的な行政システムが組み合わさっているから
女性の地位が比較的高いのは、教育重視と穏健なマレー系イスラム文化のおかげ
すべてが一本の線でつながっています。
短い滞在ではありましたが、ブルネイという国の「成り立ち」と「今」を少しだけ理解できたことは、とても貴重な経験でした。石油依存という大きな課題はあるものの、治安の良さ、政治の安定、そして北ボルネオの一角という地理的優位性を活かせば、石油後の時代にも新しい道を切り開いていけるポテンシャルは十分にある、そう感じさせられる国でした。