パプアの道路に残る赤い跡。その正体は「ピナン」だった

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パプアの街を歩いていると、道路や市場の床のあちこちに、赤い液体を吐き出したような跡が目に入ります。

血のように見えて、一瞬ぎょっとしました。もちろん血ではありません。パプアの人たちが日常的に噛んでいる「ピナン」の跡です。

ジャヤプラでも、ビアクでも、道路沿いや市場には必ずといっていいほどピナンを売る小さな店がありました。机の上に並ぶのは、緑色の実、細長い枝のようなもの、そして白い粉。この3つ、「ピナン、シリ、カプール」が、パプアの生活に深く根付いています。

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緑の実と、細い枝と、白い粉

ピナン(pinang)は、日本語では「ビンロウ」と呼ばれるヤシ科の植物で、現地で食べられているのはその若い果実です。緑色の実を歯で割り、中身を噛みます。

もう一つ、細長い枝のように見えるのがシリ(sirih)、日本語での「キンマ」にあたります。インドネシア西部ではシリの葉にピナンや石灰を包んで噛む方法がよく知られていますが、パプアでは葉よりも細長い花穂や実の部分、現地で「ブア・シリ(buah sirih)」と呼ばれるものが使われることが多いようです。

そこに、カプール(kapur)という白い石灰を合わせます。この3つを組み合わせて噛むのが、パプア流のピナンです。

噛み方はこうです。まずピナンの実を歯で割って噛み始め、次にシリの先端に石灰を少しつけ、ピナンと一緒に口に入れます。しばらく噛んでいると口の中が赤くなり、赤い唾液が出てきます。それを道路脇に吐き出します。パプアの道端に残る赤い跡の正体は、この唾液です。

ピナン自体が最初から赤いわけではありません。含まれる成分がアルカリ性の石灰や唾液、空気と反応することで、赤褐色に変わっていきます。長く噛み続けている人は、唇だけでなく歯まで赤黒く染まっていました。

コーヒーより、会話に近い

ピナンには軽い覚醒作用があり、噛むと頭がすっきりしたり、身体が温かくなったり、疲れや空腹が少し和らいだように感じるそうです。感覚としては、コーヒーやタバコに近いのかもしれません。

ただ、パプアでピナンを噛む理由は、それだけではないように見えました。

家を訪ねてきた人にピナンを出す。市場で世間話をしながら噛む。会議や相談ごとを始める前に、まずピナンを分け合う。パプアでは、ピナンを一緒に噛みながら話をすること自体が、大切なコミュニケーションになっています。

日本のお茶やコーヒーに近い部分もありますが、それ以上に、人間関係や地域の習慣と強く結びついた道具だと感じました。「社会的なお菓子」と表現されることもあると聞きました。

女性たちが支える小さな経済

ジャヤプラやビアクでは、ピナンを売る小さな露店をいたるところで見かけました。店先にはピナン、シリ、石灰が一緒に並び、必要な分だけ少量で買えます。地元の人にとって、これほど身近な商品もありません。

そして、市場や道路沿いでピナンを売っているのは、女性であることが多いようでした。大きな設備を必要とせず、少ない元手から始められるこの商売は、家庭を支える現金収入の一つになっています。ピナンは文化であると同時に、パプアの街に根付いた地域経済の一部でもあります。

文化と健康リスクのあいだで

これほど日常に溶け込んでいるピナンですが、健康面では注意が必要です。

ピナンにはアレコリンという刺激作用を持つ成分が含まれており、習慣化することがあります。長期間噛み続けると歯や歯茎、口の粘膜に影響を与える可能性があります。WHOの専門機関である国際がん研究機関(IARC)は、タバコを混ぜているかどうかにかかわらず、ピナンを含む噛み物には発がん性があると評価しています。口腔がんや食道がんのほか、口の中の粘膜が硬くなり次第に口が開きにくくなる「口腔粘膜下線維症」との関係も指摘されています。石灰をつけすぎれば、粘膜を傷めることもあります。

現地の伝統文化として尊重すべきものである一方、日常的に長く続けることには、明確な健康リスクがあります。公共施設などでは「ピナンの唾を吐かないでください」という表示を見かけたこともありました。

赤い跡の向こうにあるもの

道路に残る赤い跡だけを見れば、少し汚いと感じる方もいるでしょう。私も最初はそうでした。

でも、その背景を知ると、見え方が変わってきます。ピナンは、パプアの人たちにとって単なる嗜好品ではありません。人を迎え、会話を始め、関係を築くためのものであり、小さな露店で働く人たちの生活を支える商品でもあります。もちろん、道路や建物が汚れる問題や、長期的な健康への影響も無視はできません。

文化、習慣、商売、そして健康。パプアの街で何気なく見かけた緑色の実には、この土地の日常が凝縮されていました。

最初は不思議に見えた道路の赤い跡も、その土地で暮らす人たちの文化を知る、一つの入り口だったのかもしれません。

記事の最後
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