【インドネシア渡航】東ヌサ・トゥンガラ州マウメレに行く!その4!

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東ヌサ・トゥンガラ州フローレス島最大の街であるマウメレに到着しました。マウメレ湾のサンゴ礁で知られており、かつては世界最高のダイビングスポットで有名な街です。マウメレの街の様子などをお伝えしたいと思います。

フランス・ザビエル・セダ空港

マウメレ訪問の玄関となっているマウメレ空港は、フランス・ザビエル・セダ空港(Bandar Udara Frans Xavier Seda)と呼ばれています。インドネシアの元財務大臣であるフランス・セダ(Frans Seda)にちなんで名付けられました。空港名にザビエルと入っていることから、この地がキリスト教の街だと判ります。マウメレは90%がカトリック信者だそうです。

地元の人は空港ある場所がワイオティ村にあるためワイオティ空港と呼んでいます。マウメレ市内中心部から空港までの距離は約5Kmなので、マウメレ訪問しやすい場所に空港がありとても便利です。

フランス・セダ空港は、もともと軍事目的とオランダ軍の移動のために使用された緊急飛行場​​で1930 年に建設された当時の滑走路の長さは700 メートルの飛行場でした。現在滑走路は、2,250 x 45 m に拡張されてボーイング 737やエアバス A320のジェット機も着陸できるようになっていますが、現在のところウイングスエアのプロペラ機のみの運用となっています。

大盛り!安い!

ちょうど空港に着いたのがお昼の時間でしたので、食事に行くことになりました。空港のそばの海沿いにイカン・バカール・ジャカルタというお店に案内されました。

なぜお店の名前がジャカルタ?と疑問を持ちながら、お店に入りました。

お昼の時間なのに我々以外は誰もおらず心配になりましたが、口コミも悪くなく店員に聞いたら、夕方からお客がたくさん来るとの答えでした。

マウメレはキリスト教の街なので、イスラム教と違ってお酒を飲むはずなので、このお店はビールがあるのか?と尋ねたところ、お店では扱っていないが買ってくることは可能とのことでした。

とりあえず、お店の奥がお座敷のようなガゼボになっているのでそちらに案内されました。

奥は海岸で海を見ることができます。

メニューを見ると、ミーゴレンが15,000ルピアとマカッサルの半額程度なので注文することにしました。マウメレは物価も安いようです。ミーゴレンを待っている間に、ビールがやってきました。

お店の人が買ってきてくれたようです。ビールがお店で扱っているかどうか聞いただけだったのですが、せっかくなのでビールで乾杯となりました。

ガゼボは涼しい海風が入り、ちょうど日陰で快適な空間です。冷たいビールが喉を潤します。後で聞いたら、ビンタンビール大瓶が40,000ルピアでしたので、マカッサルよりも2割位安い価格でした。マウメレ最高です。

ミーゴレンが到着しました。大皿に大量の麺があり、明らかに2人分あります。インドネシアスタッフは、スープを頼んだのですがこちらも3人分はあるのではないかという位大きい器にたっぷりのスープが到着です。価格が安い上に、大盛りとマウメレの物価がどうなっているのか意味不明ですが、ビールと一緒においしく食べることができました。

微妙なミッキーが迎えてくれます!

Restoran ikan Bakar Jakarta

バジョ族が住むウリング村

大盛りのミーゴレンとビールでお腹いっぱいになった後、マウメレの漁村であるウリング村を訪問しました。ウリング村はマウメレ中心部から北西の海岸沿いに3kmほどの場所にあります。

ウリング村は伝統的な漁師の村でそのほとんどがバジョ(Bajo)族の人になります。マカッサルがある南スラウェシ州が起源とのことです。現在のバジョ族の人々は海の上に住居を建設して生活しています。

グーグル・マップで見るとウリング村だけ人口密度が高いことがわかります。

車一台がぎりぎり通れる道沿いに家が密集していて、ウリング村のバジョ族はイスラム教の人がほとんどです。キリスト教がほとんどのマウメレの中で、この村だけはムスリムが多いので、とても異様に感じますがこれもインドネシアなのです。

マウメレは、1992年に大地震があり、津波が押し寄せてウリング村の多くの家屋が流されたようです。再度津波の危険があるにもかかわらず、ウリング村のバジョ族の人々は再度海の上に家を建築し現在も賑わっています。

安全な高台に住まず、なぜこんな海の上に集落がつくられたのでしょうか。

実はかつてバジョ族は船の上で生活をしていました。昔は何ヶ月も船の上で生活することで知られていて、どの国にも属さずにインドネシア・マレーシア・フィリピンの3カ国を自由に回遊していたのですが、近代化が進むに連れてそうも言っていられなくなり、各地に散らばり定住し始めたそうです。

漁業で生活していくには、海の干満に関係なく船が着けられるのが大きな利点であり、船の上で生活した名残なのでしょう。以前訪問したワカトビのモラ村もバジョ族による漁業の街でしたので、ワカトビから遠く離れたフローレス島マウメレでバジョ族に会えるとは意外でした。インドネシアの漁業は、こういったバジョ族のような漁民たちに支えられているのだと思うとなかなか興味深いところです。

ワカトビ・モラ村のバジョ族の話はこちらです。

次回に続きます。

 

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