人生は、伏線だらけだった。
プロローグ
人生には、不思議なことがあります。
そのときは失敗だと思っていた出来事が、何十年も経ってから、自分を支える一番大切な経験になっていることがあります。
私にとって、その一つが「タコ」でした。
インドネシア・マカッサル。
日本から5000キロ離れたこの街で、私は今日もタコと向き合っています。
朝、工場のシャッターを開けると、冷たい空気が流れてきます。冷凍庫の温度を確認し、夜のうちに漁師たちが運び込んだ原料を一つひとつ見ていく。スタッフたちと挨拶を交わし、加工ラインの様子に目を配る。窓の外ではイスラムの礼拝の呼びかけが聞こえ、市場へ向かうバイクが次々と走り抜けていきます。強い日差しの中、魚市場のにおいと、道端で売られる果物の甘い香りが入り混じって漂ってきます。
そんな景色が、今では私の日常です。
でも、三十年前の私にこの景色を見せたら、きっと笑ってこう言うでしょう。
「お前がインドネシアでタコ屋になるわけないだろう。」
そう笑って、きっと信じないでしょう。真面目だけが取り柄で、冒険とは無縁だった自分が、まさか異国の地で会社を興すことになるとは、当の本人が一番驚いています。
あの頃の私は、本気でそう思っていました。
もともとは内気で、見知らぬ人にはろくに声もかけられないような性格でした。人前で目立つことも、リスクを取ることも苦手でした。
茨城の海辺の町で育ち、東京の大学に憧れて上京し、時代の波にもまれながら地元へ戻り、あるスーパーマーケットで働くことになりました。そこから水産の世界に入り、いつの間にかタコにのめり込んでいった。そして五十歳のとき、世界がコロナ禍で立ち止まっていたさなかに、それまでのキャリアを手放して、この国で会社を立ち上げました。
自分でも、よくここまで来られたものだと思います。
今でも、工場の前に立ちながら、ふと思うことがあります。
「どうして、私はここにいるんだろう。」
この問いに、すぐ答えられる日はありません。
茨城で生まれ育った一人の青年が、五千キロ離れたインドネシアで、タコの工場を経営している。三十年前の私なら、きっと冗談だと思ったでしょう。
人生には、「あの経験は何の意味があったのだろう」と思う出来事があります。
うまくいかなかった就職活動。希望とは違う配属。遠回りだと思った仕事。誰にも理解してもらえなかった決断。
当時は失敗だとしか思えなかった出来事が、何年も経ってから、突然意味を持ち始めることがあります。前を向いて必死に生きているときには、それが何のためなのか、誰にもわかりません。
スーパーで学んだことも。
タコが嫌いだったことも。
会社を辞めたことも。
コロナ禍でインドネシアへ渡ったことも。
そのひとつひとつは、当時の私にとって、ただの目の前の出来事でしかありませんでした。発注数量に頭を悩ませていたときも、タコの匂いに閉口していたときも、退職届を書いていたときも、これが何かにつながっているなんて、微塵も思っていませんでした。
当時は、意味なんて分かりませんでした。ただ、その日その日を必死に生きていただけです。
でも今なら言えます。
あの日々は、未来のための準備でした。
人生は、前を向いていると点にしか見えません。振り返ったとき、初めて一本の線になります。
その線は、歩いている最中には見えません。
これは、私だけの話ではないと思います。誰の人生にも、当時は意味の分からなかった出来事が、いくつも積み重なっているはずです。
このシリーズでは、その一本の線を、一つずつたどってみようと思います。
スーパーの陳列棚の前で悩んでいた日。
タコが嫌いだった営業マン時代。
五十歳で会社を辞めた日。
あの頃は、どれもただの出来事でした。
でも今なら分かります。
もし、あの一つでも欠けていたら、今の私はここにはいません。
もしかすると、あなたの人生にも、まだ気づいていない伏線があるのかもしれません。
私も、まだ歩いている途中です。
人生は、伏線だらけだった。