人生は、伏線だらけだった。私は、タコを売らなかった。
第3話
タコ屋に入った私に任されたのは、「営業」ではなく「販促」でした。
タコを売る仕事なのだから、タコの商品説明を覚えればいい。最初は、そう思っていました。
でも、私が売ろうとしたのは、いつの間にかタコそのものではなくなっていました。
今なら、商品を売り込むための資料を作ることは珍しくもありません。でも、1998年当時、営業資料をパソコンで作ることは、今ほど当たり前ではありませんでした。ちょうどWindows 98が登場した頃です。スマートフォンはもちろんありません。会社では電話とFAX、手書きの見積書が当たり前。パソコンを仕事で使う人も、社内にはほとんどいませんでした。
先輩たちは、電卓と手書きの伝票で見積もりを作っていました。私が「パソコンで資料を作ってみます」と言ったときも、特に期待されている様子はありませんでした。「好きにすればいい」という程度の反応だったと思います。
会社に一台だけ置かれていたパソコンに、私は目をつけました。せっかくあるなら、これで何か作れないだろうか。そう思って、業務が終わった後にパソコンの前に座り、PowerPointを使って、見よう見まねで写真入りの提案書を作り始めました。
最初は、タコの規格と価格を並べただけの、ただの資料でした。それでも、文字だけの見積書に比べれば、少しは見栄えがすると思っていました。
でも、しばらくして、あることに気づきました。
私はタコのことなら、まだ素人でした。仕入れも、加工の工程も、先輩に教わりながら覚えている最中でした。旬の時期も、産地による味の違いも、まだ胸を張って語れるほどではありませんでした。
でも、スーパーの売場なら、知っていました。三年間、毎日のように立っていた場所です。
商品を並べる側が何を考えるのか。 お客様がどこで足を止めるのか。 何が売れて、何が売れ残るのか。
それなら、私にも分かりました。
規格と価格だけの見積書に、写真を添えて、「この商品なら、ここに置いた方がいい」「こういう陳列にした方が手に取ってもらえる」「こういう食べ方を見せた方が売れる」という提案を書き加えるようにしました。タコの説明書ではなく、売り方の提案書でした。
ある日、バイヤーの反応が変わりました。それまでは、価格の話ばかりで、資料にはほとんど目を通してもらえませんでした。でも、写真入りの提案書を見せた日、バイヤーは少し身を乗り出して、ページをめくりました。
「じゃあ、一度売場でやってみてよ。」
そう言われて、私は売場に立たせてもらうことになりました。試食台を出し、切ったタコを並べ、通りかかるお客様に声をかける。緊張で、最初の一声はなかなか出ませんでした。
「これは柔らかいね」 「どうやって食べるの?」 「ちょっと高いね」 「じゃあ、これなら買ってみようかな」
一つひとつの声に、うれしくなったり、へこんだりしながら、その場で聞こえてくる声が、次の提案書に生きていきました。「ちょっと高い」と言われれば、買いやすい量の商品を考えてみる。「食べ方が分からない」と言われれば、簡単なレシピカードを添えてみる。提案して、売場に立って、お客様の反応を見て、また次の提案に活かす。そのサイクルを、二十代の頃から、自然に繰り返していました。
当時、商談といえば規格と価格の話が中心でした。売場でどう並べ、どう販売するかまで写真を使って提案することは、まだ珍しかったのだと思います。
あれから二十年以上が経ちました。
今は、インドネシアでタコを加工し、日本へ輸出しています。パソコンは当たり前になり、見積書はメールで送り、商談はオンラインでもできるようになりました。写真も動画も、スマートフォン一台で送れます。時代は、あの頃とは比べものにならないほど変わりました。
それでも、私がやっていることは、あの頃とあまり変わっていません。
「このタコを買ってください」ではなく、
「このタコなら、こう売れます。」
それを考える。
私はタコ屋に入って、
タコを売る仕事を始めたつもりでした。
でも本当は、
商品ではなく、
売り方を提案する仕事を覚えていたのかもしれません。
そして、その原点は、
タコ屋に入る前に立っていた、
あのスーパーの売場でした。
豆腐や牛乳を並べ、
毎日発注に頭を悩ませていた、あの売場です。
あの頃は、
そんな経験が何の役に立つのかなんて、
考えたこともありませんでした。
でも二十年以上経った今、
五千キロ離れたマカッサルから振り返ると、
すべてがつながっています。
人生は、伏線だらけだった。
続く。