55歳になって、ようやく分かったこと 人は、自分が思うほど他人を見ていない
55歳からの小さな気づき 第2話
市場へ行くと、いつも同じコーヒー屋へ立ち寄ります。
店主とは、もう何年もの付き合いです。毎朝「おはよう」と笑顔で迎えてくれます。
でも、不思議なことがあります。こちらが髪を切っても気付かない。服が変わっても気付かない。少し疲れた顔をしていても、いつも通り笑っています。
最初は、「意外と人のことを見ていないんだな」と思っていました。
でも、ある日ふと気付いたのです。
もしかすると、人は私が思っているほど、私を見ていないのかもしれない。
その時から、少しだけ心が軽くなりました。
人の目ばかり気にしていた
若い頃の私は、とにかく人の評価が気になっていました。
仕事で失敗したらどう思われるだろう。変なことを言っていないだろうか。営業先で嫌われていないだろうか。上司はどう評価しているだろう。同僚に負けていないだろうか。
そんなことばかり考えていました。
今思えば、自分のことを見ている人など、それほど多くなかったのです。でも当時は、本気で「みんなが自分を見ている」と思っていました。だから失敗が怖かった。だから挑戦することも怖かったのです。
海外へ来て、何度も失敗した
50歳でインドネシアへ来た私は、毎日のように失敗しました。
言葉が通じない。文化が違う。商習慣も違う。日本なら当たり前だったことが、まったく通用しません。
間違ったインドネシア語を話して笑われたこともあります。商談で勘違いしたこともあります。スタッフへの伝え方を間違えたこともあります。
最初は、その一つひとつが恥ずかしくて仕方ありませんでした。でも不思議なことに、翌日になると、誰も気にしていないのです。笑って終わり。また普通に話しかけてくる。
「あれほど気にしていたのは、自分だけだったのか。」
そんな経験を何度も繰り返しました。
人は、自分の人生で忙しい
55歳になった今、思うことがあります。
人は、他人を見ているようで、自分の人生を生きることに精一杯です。家族のこと。仕事のこと。健康のこと。将来のこと。みんな、それぞれ悩みを抱えています。
だから、私が昨日失敗したことなど、きっと誰も覚えていません。
私自身もそうです。誰かの失敗を見ても、次の日まで覚えていることはほとんどありません。それなのに、自分の失敗だけは何日も引きずってしまう。
今思えば、それは少し不思議なことでした。
自分を縛っていたのは、自分だった
私は長い間、「人の目」に縛られて生きてきました。
でも本当に私を縛っていたのは、人ではありませんでした。「みんなが自分を見ている」という思い込みでした。
その思い込みがあるから、失敗が怖くなる。挑戦できなくなる。言いたいことが言えなくなる。
でも、その思い込みが少しずつ消えていくと、不思議なくらい自由になります。失敗してもいい。分からなければ聞けばいい。違っていたら、やり直せばいい。
55歳になって、ようやくそんなふうに考えられるようになりました。
心が軽くなった理由
もちろん、今でも人からどう思われるかが気になることはあります。人間ですから、まったく気にならないわけではありません。
でも以前ほどではありません。
人は、自分が思うほど他人を見ていない。そして、自分もまた、他人をそれほど見ていない。
そう考えると、不思議と肩の力が抜けます。完璧でなくてもいい。失敗してもいい。少しくらい遠回りしてもいい。
あのコーヒー屋の店主は、今日も私の髪型には気付かないでしょう。でも、「おはよう」と笑顔で迎えてくれる。それで十分だと、今は思っています。
55歳になって、ようやく分かったことがあります。人は、自分が思うほど他人を見ていません。だからこそ、もっと自由に生きてもいいのだと思えるようになりました。
次回は、
「頑張ることを、頑張らなくなった日」
について書いてみたいと思います。
若い頃は、頑張ることが正しいと信じていました。でも55歳になった今、力を抜くことも、生きる知恵の一つなのだと思えるようになりました。
この連載では、55歳になった今だからこそ気付けた、小さな学びや人生の変化を綴っています。
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