第10話
2017年。
約二年間続いた、マカッサルでの実証事業が終わりました。
インドネシアでタコを集め、インドネシアの工場で加工し、日本でも通用する商品を作る。2014年に初めてインドネシアを訪れたときには、「そんなこと、本当にできるのだろうか」と思っていたことが、少しずつ形になっていました。現地スタッフも、最初は手探りだった加工の手順を、少しずつ自分たちのものにしていきました。任せられる作業も、日を追うごとに増えていきました。最初の頃は横についてすべてを確認していた工程を、いつの間にか、遠くから見守るだけで済むようになっていました。
でも、ここからが本当の始まりでした。
作れるようになった。では、誰が作り続けるのか。そして、誰が買ってくれるのか。
実証が終わって初めて分かったことがありました。
作れることと、続けられることは、まったく違う。
考えてみれば、当たり前のことでした。それでも、実際に現場を離れる段階になって初めて、その重みに気づかされました。
私がいつもマカッサルにいられるわけではありません。私がいなくても、現地のスタッフだけで同じ品質の商品を作れるようにならなければならない。判断も、改善も、私抜きでできるようにならなければ、事業とは呼べません。そして、どれだけ良い商品を作っても、売れなければ続きません。
インドネシアで作ることが「入口」なら、日本で売ることは「出口」でした。出口が塞がれば、工場も、原料を集める人も、その先にいる漁師も続きません。せっかく現地スタッフが育っても、注文が入らなければ、その手を止めることになってしまいます。
私は営業部長として、再び営業の仕事に戻ることになりました。
工場長になる前にやっていた仕事です。でも、以前とは少し違いました。今度、私が売ろうとしているのは、マカッサルで自分たちが作ってきたタコでした。
営業しか知らなかった私が、工場長になった。工場を知った私が、もう一度、営業に戻る。
今度は、作る人の苦労も分かります。原料を集める難しさも分かります。品質を守る大変さも分かります。だからこそ、このタコをどう売ればいいのかを、以前よりも真剣に考えるようになりました。
とはいえ、簡単には売れませんでした。
「インドネシアのタコです。」
そう言っても、知らない人の方が多い。見た目も違う。産地としての知名度もない。取引先を一軒ずつ回り、商品を説明し、試食してもらいました。
ある取引先では、こんなことを言われました。
「面白い話だとは思うけど、うちが最初に扱うのはリスクが大きいな。」
品質には自信がありました。それでも、「知らないもの」を最初に扱うことへの慎重さは、簡単には崩せませんでした。
作れるようになったからといって、売れるわけではない。
インドネシアタコの普及は、まだ始まったばかりでした。
このときの私は、まだ会社員でした。
日本に仕事があり、マカッサルには現場がある。
その二つを行き来しながら、どうすればこの仕事を続けられるのか。そんなことを考えるようになっていました。
何もかもが目新しかったマカッサルも、いつの間にか、通い慣れた街になっていました。
それでも、この頃の私はまだ、
自分が会社を辞めるなんて、
考えてもいませんでした。
まして、
この街で自分の会社をつくることになるなんて。
でも数年後、
私は一つの決断をします。
会社を辞めて、
マカッサルへ戻る。
それは、もう少し先の話です。
人生は、伏線だらけだった。
続く。