「ありがとう」は相手のために言う言葉だと思っていました。でもインドネシアで暮らし、毎日「Terima kasih」を口にするようになって気付いたことがあります。一番救われていたのは、相手ではなく私自身でした。感謝の言葉は、人との距離を縮めるだけでなく、自分の心も少しずつ整えてくれます。55歳になってようやく分かった、小さな幸せの見つけ方を書きました。
私は以前、「ありがとう」は相手のために言う言葉だと思っていました。
感謝を伝える言葉。礼儀として返す言葉。そんなふうに考えていました。
でもインドネシアへ来て、毎日何十回も「Terima kasih(ありがとう)」と言うようになってから、一つ気付いたことがあります。
一番救われていたのは、相手ではありませんでした。私自身だったのです。
会社員時代の私は、「ありがとう」をあまり言わない人間でした。
言っていなかったわけではありません。でも今振り返ると、驚くほど少なかったと思います。
仕事が忙しかった。数字を追っていた。結果を出すことで頭がいっぱいだった。
取引先には言いました。上司にも言いました。でも毎日一緒に働く同僚には、どうだったでしょうか。家族には、どうだったでしょうか。
当たり前のことをしてもらっても、当たり前だから気付かない。気付かないから、言わない。
当時の私は、感謝を言葉にすることを少し照れくさいとさえ思っていました。「言わなくても分かるだろう。」そう思っていました。
でも言わなければ伝わりません。そして言わなければ、自分自身も、そのありがたさに気付けないのです。そのことに気付いたのは、ずいぶん後になってからでした。
インドネシアへ来て、最初に驚いたことの一つが、「Terima kasih」の多さでした。
市場で買い物をするだけで、何度も交わされます。ドライバーに乗せてもらっても、屋台でコーヒーを飲んでも、スタッフが書類を持ってきてくれても、漁師さんがタコを届けてくれても。小さなことでも、当たり前のことでも、「Terima kasih」。
最初は、日本でいう「どうも」くらいの軽い言葉だと思っていました。
でも毎日過ごしていると、少し違うことに気付きました。彼らは本当に、その瞬間の感謝を言葉にしているのです。小さなことを、小さいまま終わらせない。その積み重ねが、人との距離を少しずつ縮めていく。
私はその姿を見ながら、自分がどれほど感謝を言葉にしてこなかったのかを、静かに思い知りました。
その影響を受けて、私も少しずつ意識するようになりました。
スタッフが仕事を終えたら、「ありがとう」。漁師さんが原料を届けてくれたら、「ありがとう」。運転手が送り届けてくれたら、「ありがとう」。
最初は意識して言っていました。でも続けるうちに、不思議なことが起きました。
ある日、荷物を運び終えたスタッフに「Terima kasih」と声をかけると、少し照れくさそうに笑ってくれました。その笑顔を見た瞬間、なぜか私まで笑顔になっていました。
相手が変わる前に、自分の気持ちが変わっていたのです。
怒っている時でも、疲れている時でも、「ありがとう」と言うと、何かが少し解けるような感覚があります。
その理由が、今なら少し分かります。怒っている時の心は、「足りないもの」ばかりを見ています。でも「ありがとう」を口にすると、不思議と「今あるもの」に目が向くようになります。支えてくれる人がいること。今日も仕事ができたこと。無事に一日が終わったこと。
感謝できるものを見つけた瞬間、心は少しだけ軽くなります。
第1話で書いたように、幸せは「足りないもの」の先ではなく、「今あるもの」の中にありました。「ありがとう」は、そのことを思い出させてくれる言葉だったのです。
ある日、気付きました。「ありがとう」が自然に出る日と、なかなか出ない日があることに。
自然に出る日は、たいてい心に余裕がある日です。物事がうまく進んでいる日。穏やかな気持ちで過ごせる日。
反対に、出ない日は苦しい日です。問題が重なっている日。焦っている日。誰かに腹を立てている日。
つまり、「ありがとう」は相手への言葉である前に、自分の心を映す鏡だったのです。
言えない日が続いたら、自分が少し疲れているサインなのかもしれません。そんな日こそ、意識して「ありがとう」と言ってみる。すると不思議なくらい、心が少しずつ落ち着いてきます。
感謝の言葉は、相手への贈り物だと思っていました。でも実は、自分への処方箋でもあったのです。
55歳になって、ようやく分かったことがあります。
「ありがとう」は、相手を喜ばせるための言葉だと思っていました。でも違いました。一番救われていたのは、いつも「ありがとう」と言っていた私自身でした。
今日もスタッフが仕事を終え、「また明日」と帰っていきます。私は「Terima kasih」と笑顔で手を振ります。その笑顔を見るたびに、私も自然と笑顔になります。
会社員時代の私に、もし一つだけ伝えられるとしたら、こう言いたいと思います。
もっと早く、もっとたくさん、「ありがとう」を言えばよかった。それは相手のためだけではなく、自分自身のためでもあったのだから、と。
ありがとうは、幸せだから言える言葉ではありませんでした。
ありがとうと言うから、少し幸せになれる言葉だったのです。
55歳になって、ようやくそう思えるようになりました。
次回は、
「年を取ることは、悪いことばかりではなかった」
について書いてみたいと思います。
若い頃は、歳を重ねることをどこか恐れていました。でも55歳になった今、年齢を重ねたからこそ見えてきた景色があります。そんなことを書いてみたいと思います。
この連載では、55歳になった今だからこそ気付けた、小さな学びや人生の変化を綴っています。