第2話
「欠品だけはするな。」
スーパーに入社して最初に教えられた言葉です。
あれから三十年近く経った今も、その言葉はインドネシアの工場で、毎日のように思い出します。
第1話では、私がタコ屋になったきっかけを書きました。でも、そのずっと前から、今の私をつくる伏線は始まっていました。
インドネシアで会社を経営していると、ときどきこう聞かれます。
「どうやって経営を覚えたんですか?」
正直に言うと、MBAで学んだわけでも、経営セミナーに通ったわけでもありません。
私が一番勉強したのは、スーパーの豆腐売場でした。
配属されたのは、日配品の売場でした。豆腐、牛乳、納豆。地味な棚に見えて、実はスーパーの中でも一番気を遣う場所だと、後になって知ることになります。
先輩の次長は、売場にはとても厳しい人でした。でも、一度も感情で怒る人ではありませんでした。商売の基本を、誰よりも知っている人でした。
その人が、最初に私へ言った言葉があります。
「豆腐と牛乳と納豆だけは、絶対に欠品させるな。」
最初は、少し大げさだと思いました。たかが日配品です。そこまで神経質になる必要があるのだろうか、と。当時の私には、その一言の重みが、まだ分かっていませんでした。
でも、働き始めてすぐ、その意味が分かりました。
豆腐は賞味期限が短い。牛乳も長くは持ちません。納豆も、売れ残れば廃棄になります。だから、多く発注すれば赤字になる。少なければ、次長に叱られる欠品になる。その真ん中を、毎日探さなければなりませんでした。
しかも、条件は毎日変わります。
雨の日。給料日。特売の日。年末。お盆。近くの小学校の運動会。曜日。気温。そのすべてで、売れる数が違いました。昨日たくさん売れたからといって、今日も同じだけ売れるとは限りません。毎日が、小さな予想ゲームでした。
朝、発注端末の前に立つたびに、頭の中でいくつもの条件を並べていました。
今日は火曜日。給料日の翌日。天気は晴れ。近所で特売はない。だとすれば、昨日よりやや少なめでいい。逆に、金曜日の夕方や、給料日、特売のチラシが入った日は、いつもより多めに構えておく必要がありました。
計算を外すと、すぐに結果が出ます。多く発注しすぎた日は、閉店間際の値引きシールを何枚も貼ることになりました。少なすぎた日は、夕方には棚が空になり、買いに来たお客様に頭を下げることになりました。どちらも、次長からの指摘が飛んできます。
「昨日の豆腐、なんで余らせた。」 「今日の牛乳、なんで切らした。」
発注には、百点の日はありませんでした。
答えられないこともありました。天候の急な変化や、近所のイベントの規模までは、正直、読みきれないこともあったからです。それでも毎日続けるうちに、「今日はこれくらい売れる」という売場の空気が、少しずつ読めるようになっていきました。
半年も経つ頃には、数字を見なくても、なんとなく「今日はこのくらいだろう」という感覚が働くようになっていました。ある特売の日、他の売場が軒並み欠品を出す中、私の担当した棚だけは最後まで商品が残っていました。
次長から「よくやった」と、初めて褒められました。たった一言でした。でも、あの日は家に帰るまで嬉しかったことを、今でも覚えています。
当時の私は、「豆腐を発注している」としか思っていませんでした。
でも、今振り返ると、少し違います。
私は毎日、お客様の生活を切らさない仕事をしていたのです。
豆腐がない朝。牛乳がない棚。それは、誰かの朝食の予定を、少しだけ狂わせることになります。子どもの弁当に入れるはずだった卵焼きが作れない。コーヒーに入れるはずだった牛乳がない。そんな小さなつまずきを、こちらの発注一つで防ぐことも、生んでしまうこともある。そのことに、当時の私はまったく気づいていませんでした。ただ数字を追いかけているだけだと思っていた仕事に、そんな意味があったとは、後になるまで分かりませんでした。
二十年以上経った今、私はインドネシアでタコを仕入れています。
今日、何キロ仕入れるか。どれだけ在庫を持つか。冷凍能力は足りているか。コンテナの出荷に間に合うか。天候が荒れれば漁師の水揚げは減り、需要が読めない時期は多めに構える。毎日考えていることは、あの頃と、実はほとんど変わっていません。
違うのは、
豆腐が、タコになっただけでした。
あの日、
豆腐売場で覚えた発注が、
二十年後、
インドネシアでタコを仕入れる私を支えていました。
あの頃は、
そんな未来が来るなんて、
想像もしていませんでした。
でも、
あの日、
次長に教えられながら立っていた
あの豆腐売場が、
二十年後、
五千キロ離れたマカッサルへ、
確かにつながっていました。
人生は、伏線だらけだった。
続く。