第1話
私は、タコが嫌いでした。
食べられないほどではありません。でも、自分から食べたいと思ったことはありませんでした。
それなのに今、私はインドネシアでタコの会社を経営しています。
自分でも時々思います。
「なんで、こうなったんだろう。」
きっかけは、一つの誘いでした。
東京の大学を出た年、日本は就職氷河期の真っただ中でした。同級生たちが軒並み内定を取れずに苦戦する中、都内での就職はうまくいかず、地元へ戻ることにしました。実家のある茨城で、両親と暮らしながら働くことになったのは、あるスーパーマーケットでした。
配属されたのはグロサリー担当。缶詰やレトルト食品、調味料が並ぶ棚を任されました。毎朝、開店前の静かな店内で棚を整え、売れ行きを見ながら発注数量を考えていました。多く発注すれば商品は余り、少なければ棚が空になる。その数字と、毎日向き合っていました。特別な仕事だとは思っていませんでした。ただ、目の前の仕事を、一日一日こなしていただけです。この頃はまだ、タコとは何の接点もありませんでした。
3年が経とうとしていました。品出しだけではありません。発注、売場づくり、店長補佐として売上や現金の管理まで任されるようになっていました。重い調味料を毎日何十本も棚に並べる生活は、少しずつ体にこたえ始めていました。
ちょうどその頃、勤めていたスーパーが、別のスーパーに買収されるという話が持ち上がりました。この先も長く働き続けられる場所なのか、正直、自信が持てなくなっていました。
そんな私の働きぶりを、どこかで見ていた人がいたようです。
ある日、思いがけない話が舞い込みました。大手食品会社の販促を手伝ってほしいという誘いでした。スーパーの一店員だった私に、そんな声がかかるとは思ってもいませんでした。喜んで話を聞きに行きましたが、結果は残念なものでした。ちょうどそのタイミングで、先方の人員が足りていたのです。話は、そこで一度立ち消えになりました。
正直、肩透かしを食らった気分でした。
ところが、その話にはまだ続きがありました。声をかけてくれた大手食品会社の支店長には、知り合いがいました。自宅の近くで水産会社を営んでいる方でした。ちょうどその会社は、スーパーへの販路を広げようとしているところでした。
数日後、一本の電話が鳴りました。
「水産会社なんだけど、一度話を聞いてみない?」
正直、水産業に興味はありませんでした。タコに至っては、好きでもありませんでした。それでも、断る理由もなく、話だけでもと会いに行くことにしました。先方は「ぜひ、うちの販促に来てほしい」と、その場で声をかけてくれました。
数日後、正式に返事をもらいました。
配属先は、タコ加工会社。
正直、耳を疑いました。
「え、タコ?」
任される仕事は、タコの販促でした。
最初は派遣として働き始めました。与えられた仕事を、必死にこなしました。
気づけば、わずか二か月後。
「正社員にならないか。」
そう声をかけてもらいました。
人生で初めて、自分が認められた気がしました。
こうして、私の激動のタコ屋人生が始まりました。
あの日、
私はただ、
「タコ担当になった。」
そう思っていました。
二十年以上先の人生まで変わるなんて、想像もしていませんでした。
でも、
あれが、人生を変える最初の伏線でした。
続く。