第6話
2012年。
私が初めてインドネシアのタコを見たのは、日本の工場でした。
その頃の私は工場長でした。東日本大震災で被災した工場の復旧を進めながら、毎日のように生産現場に立っていました。
ある日、後輩の営業担当から、少し変わった話を聞きました。仕入先の人と一緒に、インドネシアへタコを探しに行ってきたというのです。場所は、フローレス島。ヌサ・トゥンガラ・ティムール州にある島でした。
当時の私にとって、インドネシアはまだ遠い国でした。まして、フローレス島と言われても、どこにあるのかすらよく分かりません。話を聞くと、タコが水揚げされる浜まで行くのに、何時間もかかったというのです。
「そんなところまで、タコを探しに行ったのか。」
驚きました。同時に、世界には自分の知らないところに、まだタコがいるんだなと思いました。
しばらくして、そのインドネシアから買い付けた原料が、日本の工場へ到着しました。箱を開けて、初めてそのタコを見ました。
「ずいぶん違うな。」
それが最初の印象でした。ワモンダコ。私たちは、その縞模様から通称「シマタコ」と呼んでいました。それまで見慣れていたアフリカのタコとは、明らかに姿が違いました。
工場長だった私は、さっそくボイルしてみることにしました。ところが、茹で上がったタコを見ても、やはり縞模様が気になります。味が悪いわけではありません。でも、長年見慣れてきたタコとは、見た目が違う。
「これを、日本のお客さんが買ってくれるだろうか。」
最初に感じたのは、期待よりも不安でした。当時、インドネシア産のタコ自体、日本ではほとんど知られていませんでした。見たことのないタコを、そのまま「新しいタコです」と売っても、簡単には受け入れてもらえません。
だったら、どうすれば売れるのか。ここから試行錯誤が始まりました。
切り方を変えてみる。加工方法を変えてみる。加熱時間を変えてみる。どうすれば、このタコのおいしさを生かせるのか。いろいろ試している中で、ヨーロッパでのタコの食べ方に目をつけました。タコを長い時間煮て、柔らかく仕上げる方法です。
試しに、一時間ほどじっくり煮てみました。すると、驚くほど柔らかくなりました。そして、気になっていた縞模様も目立たなくなりました。
「これなら、いけるかもしれない。」
初めてそう思いました。問題だった特徴を隠そうとするだけではなく、加工することで、このタコに合った商品にすればいい。
「このタコを買ってください」ではなく、
「このタコなら、こう売れます。」
あの頃に身についた考え方を、ここでも自然に繰り返していました。
最初に提案した先の一つが、ワインバーを展開する外食チェーンでした。インドネシア産のタコ。日本ではまだほとんど知られていない。でも、じっくり煮込めば柔らかく、おいしい。和食のタコとしてではなく、洋食の食材としてなら面白いのではないか。その商品を提案すると、思いのほか早く採用が決まりました。
こうして、私にとってのインドネシア産タコの販売が始まりました。
ただ、このときの私はまだ、
インドネシアへ行ったことすらありませんでした。
後輩から聞いた、何時間もかけてたどり着くフローレス島の浜。
そこから運ばれてきた、見たこともない縞模様のタコ。
私にとってインドネシアは、まだ、
タコがやって来る遠い国でした。
まさか、その数年後、
今度は自分がタコを追いかけて、
インドネシアへ向かうことになるとは。
そして、そのさらに先で、
自分がこの国に住み、
自分の工場でタコを作ることになるとは。
もちろん、この頃の私は知りませんでした。
私より先に、
タコの方が、
インドネシアから会いに来ていたのです。
人生は、伏線だらけだった。
続く。