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人生は、伏線だらけだった。100グラム98円の時代

記事の冒頭
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第4話

100グラム、98円。

今では、少し信じられない値段です。

でも、私がタコ屋に入った頃、スーパーでは蒸しタコの「100グラム98円」という特売が、珍しくありませんでした。

特売を打てば、売れる。売れれば、また注文が来る。工場では、作っても、作っても足りませんでした。毎日のように残業でした。夜遅くまで加工ラインが動き、翌朝にはまた新しいトラックが原料を積んで到着する。そんな毎日でした。

私はタコ屋に入るまで、タコがこれほど日本で食べられていることを知りませんでした。

「日本人って、こんなにタコを食べるんだ。」

本気で驚きました。

当時、アフリカ産のタコ原料は、キロ300円ほどでした。製品になっても、キロ650円ほど。だからスーパーでも、100グラム98円という特売ができました。安いから売れる。売れるから大量に作る。大量に作れば、また大量に売れる。そんな循環が、本当にありました。

原料が安いということが、当たり前すぎて、疑問にすら思っていませんでした。船で運ばれてくるタコが、どんな漁で獲られ、どんな人たちの手を経てここに届いているのか。当時の私は、考えたこともありませんでした。

営業の形も、今とはずいぶん違いました。

「来週、タコ98円で特売やりませんか。」

電話一本で、話はどんどん決まっていきました。話が決まれば、数量は一気に動きます。数ケース、数十ケースという話ではありません。トラックを一台チャーターして、量販店へ送り込む。今振り返ると、ずいぶん豪快な商売でした。

私は、その頃まだ二十代でした。

タコというのは、こういう商売なのだと思っていました。作れば売れる。特売を組めば、もっと売れる。来年も、その次の年も、きっと同じように売れるのだろう。少なくとも私は、そう思っていました。この先、タコの値段が何倍にもなるなんて、想像もしていませんでした。

でも、そんな時代は長くは続きませんでした。

アフリカのタコは、少しずつ値段を上げていきました。300円だった原料が、1000円になり、1500円になり。「高くなったな」と言っているうちに、また次の年には上がっていく。仕入れの担当者が電話口で頭を抱える姿を、何度も見るようになりました。

そして、もう一つ大きな変化が起きました。

ヨーロッパが、タコを買うようになったのです。日本だけが、アフリカのタコを買っているわけではない。それまで当たり前のように買えていたタコが、値段を出さなければ買えなくなっていきました。

「日本が買い負ける。」

タコの世界で、そんなことが起き始めました。

100グラム98円で、山のようにタコを売っていた時代から、「タコをどこから持ってくるのか」を考えなければならない時代へ。売ることよりも、まず原料を確保すること。タコ屋の仕事そのものが、少しずつ変わっていきました。

そして、新しいタコを探していく、そのずっと先に、インドネシアがありました。

もちろん、この頃の私は、そんなことを知るはずもありません。自分がいつか、インドネシアに住み、自分の工場でタコを作ることになるなんて。想像したことすらありませんでした。

でも振り返れば、アフリカのタコが高くなり始めたあの頃から、私の人生は少しずつ、インドネシアへ向かい始めていたのかもしれません。

人生は、伏線だらけだった。

続く。

記事の最後
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kenji kuzunuki

葛貫ケンジ@インドネシアの海で闘う社長🇮🇩 Kenndo Fisheries 代表🏢 インドネシア全国の魅力を発信🎥 タコなどの水産会社を経営中25年間サラリーマン人生から、インドネシアで起業してインドネシアライフを満喫しています。 インドネシア情報だけでなく、営業部門に長年いましたので、営業についてや、今プログラミングを勉強中ですので、皆さんのお役にたつ情報をお伝えします。

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