最初にこの街へ来たとき、私は、この街を理解しようとしていました。
文化。 仕事。 時間。 人。 食事。
何でも、日本と比べながら見ていました。 時間通りに来ないトラックに苛立ち、休みの理由を細かく確認し、知らない人に笑いかけられても警戒していました。 工場の従業員には、日本の基準を、そのまま当てはめようとしていました。 そして、どこかで、少しでも日本に近づけようとしていたのかもしれません。 効率を上げ、規律を作り、この街を、自分の知っているやり方に、寄せようとしていたのだと思います。 それが、この街で働き、暮らしていくための、正しいやり方だと、疑っていませんでした。
でも、今、振り返ると、不思議なことがあります。
街は、あの頃と、ほとんど変わっていません。
朝になれば、アザーンが流れます。 市場には、今日も人が集まります。 港には、船が並びます。 夕方になれば、いつもの渋滞が始まります。 雨が降れば、街は静かになり、誰も急がず、雨がやむのを待ちます。
チョトの店の店主は、相変わらず、私が席に着く前から、いつものを用意し始めます。 市場のサンバルは、相変わらず、店ごとに、少しずつ違う辛さをしています。
スタッフも、相変わらずです。 家族を、当たり前のように大切にして、よく笑って、時々、私を困らせて、また笑っています。
この街は、五年前から、何も変わっていません。
変わったのは、この街ではありませんでした。
待てなかった私。 何でも、日本と比べていた私。 急げば、たいていのことは解決すると思っていた私。 休む理由を、いちいち求めていた私。 知らない人の笑顔を、警戒していた私。 「Terima kasih」を、照れくさく思っていた私。 帰る場所は、一つしかないと思っていた私。
その私が、少しずつ、変わっていました。
一つ一つの変化は、小さすぎて、自分でも気づかないほどでした。 けれど、五年という時間の中で積み重なると、振り返ったとき、まるで別人のようになっていました。
一話ごとに、違う出来事を書いているつもりでした。 アザーン、仕事、休み、笑顔、「ありがとう」、食べ物、帰る場所、比べること。 けれど、こうして並べてみると、その奥にあるものは、いつも同じでした。
よく分からなかった街を、好きになった話。 アザーンという音に、安心するようになった話。 急がないことの豊かさを、知った話。 理由を聞かなくなった話。 知らない人に、笑い返すようになった話。 「ありがとう」が、口ぐせになった話。 食べるたびに、この街を好きになった話。 帰る場所が、二つになった話。 比べることを、やめた話。
書いていたのは、マカッサルのことではありませんでした。 この五年間で、少しずつ変わっていった、自分自身のことでした。
だとすれば、これ以上、続きを書く必要はないのかもしれません。 街の景色は、これからも、変わらず続いていくはずです。 けれど、それを書き続けることは、もう、この記録の役目ではない気がします。 変わっていく私を書くための場所として、この記録は、ここでいったん、役目を終えるのだと思います。
だから、このシリーズは、ここで一区切りにしようと思います。
マカッサルは、今日も、変わりません。
朝には、アザーンが流れます。 市場には、人がいます。 港には、船があります。 街のどこかで、誰かが、笑っています。
そして私は、
その変わらない街の中で、
これからも、
少しずつ、
変わっていくのだと思います。
変わったのは、この街じゃなかった。
変わったのは、私でした。