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マカッサルで、人生をやり直してみた 私は、逃げたのだろうか。

記事の冒頭
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第4話

会社を辞める少し前、同僚にこう言われたことがあります。

「逃げるのか。」

冗談だったと思います。

でも、その一言だけは、五年経った今でも忘れられません。

笑って返しました。何と返したのか、今では覚えていません。

日本にいた頃、私は25年間、同じ会社で働いていました。

営業として取引先を回り、仕事を覚え、後輩を育て、管理職になりました。特別な成功はありませんでしたが、特別な失敗もありませんでした。

周りから見れば、真面目にやってきた人間だったと思います。

だから「逃げた」という言葉は、少し意外でした。同時に、少し刺さりました。

50歳で会社を辞めると決めた時、正直なところ、自分でもよく分かっていませんでした。

なぜ辞めるのか。何をしたいのか。インドネシアで何ができるのか。

はっきりした答えのないまま、辞表を出しました。

その時の私を振り返ると、確かに何かから「離れたかった」のかもしれません。それが逃げなのか、それとも別の何かなのか。今でも、うまく区別できません。

マカッサルへ来た最初の頃、工場はなかなか動きませんでした。

許認可が進まない。資金が減っていく。売上はゼロ。

日本にいる知人から連絡が来ることがありました。

「どうですか。」

その一言を読むたびに、私は勝手に続きを想像していました。

「やっぱり大変でしょう。」

本当にそう思っていたのかは、分かりません。

そういう夜、布団の中でふと思いました。

「私は、逃げたのだろうか。」

答えは出ませんでした。

逃げることと、離れることは、同じなのでしょうか。

今でも、その境界線はよく分かりません。

マカッサルへ来て5年が経ちます。

工場は動いています。スタッフがいます。取引先がいます。漁師さんとの関係もできました。

順調とは言えませんが、続いています。

日本を離れたことを後悔しているかと聞かれれば、そうは思いません。でも、あの決断が正しかったかと聞かれると、少し考えてしまいます。

正しかったかどうかは、まだ分からない。ただ、続けてきた、ということだけは確かです。

ある日、スタッフの一人が仕事を辞めると言ってきました。

理由を聞くと、「別の仕事をやってみたい」と言いました。

私は引き止めませんでした。

彼が去った後、ふと思いました。

「彼は逃げたのだろうか。」

そうは思いませんでした。ただ、別の場所へ行きたかっただけだと思いました。

では、私は。

「逃げたのか」という問いは、今でも時々浮かびます。

工場の朝。漁師さんとの交渉。売上が伸びない月。スタッフとの行き違い。

そういう場面で、ふと思い出します。

「もし日本にいたら、どうだっただろう。」

でも、その問いに続く答えは、いつも途中で消えてしまいます。

タコが運ばれ、箱に詰められていきます。

私は、その様子を見ています。

今日も工場は動いています。

それだけは、確かでした。

このシリーズは、マカッサルで暮らす中で少しずつ変わっていった自分を、一話ずつ振り返りながら書いています。

第1話「私は、日本で幸せだったはずだ。」

第2話「私は、ちゃんと生きすぎていた。」

第3話「私は、急いで生きていた。」

記事の最後
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kenji kuzunuki

葛貫ケンジ@インドネシアの海で闘う社長🇮🇩 Kenndo Fisheries 代表🏢 インドネシア全国の魅力を発信🎥 タコなどの水産会社を経営中25年間サラリーマン人生から、インドネシアで起業してインドネシアライフを満喫しています。 インドネシア情報だけでなく、営業部門に長年いましたので、営業についてや、今プログラミングを勉強中ですので、皆さんのお役にたつ情報をお伝えします。