2026年8月22日、マカッサルで7年ぶりにNIPPON DAYが開催されました。
会場はWisma Kalla。日本文化を南スラウェシの人たちに紹介し、日本と南スラウェシの友好関係を深めるために2016年に始まったこのイベントは、コロナ禍による中断を経て、久しぶりの再開となりました。テーマは「Ewako × Kizuna: Spirit of Friendship」。会場には日本とインドネシア、両方の空気が混ざり合っていました。
今回のメインゲストは、加藤ひろあきさんです。
私にとって、この名前には少し特別な思いがあります。会場に向かいながら、なんとなく落ち着かない気持ちになっている自分がいました。
加藤さんと初めて出会ったのは、もう14年以上前のことです。
当時、加藤さんは前職の会社に、インドネシア人研修生たちの通訳として出入りしていました。まだ現在のようにインドネシアで広く知られる存在になる前のことです。
しかし、その頃からすでに音楽活動をしていて、歌を歌っていました。その中の一曲が、
「Terima Kasih」
インドネシア語で「ありがとう」。加藤さんがその頃から大切に歌い続けている曲でした。
正直に言うと、当時の自分は加藤さんのことを、通訳として出入りしている若い人、くらいにしか見ていなかったと思います。まさかその人の歌が、十数年後の自分にとって特別な意味を持つようになるとは、想像もしていませんでした。
2012年、前職の会社の食堂で加藤さんがライブを行いました。
このライブが開かれたのは、インドネシアから来ていた第一期生の研修が終了するタイミングでした。加藤さんは、まさにその第一期生の通訳として会社に出入りしていたのです。
会社がインドネシア人研修生を受け入れ始めたのは2009年のことでした。2011年の震災の年もありました。あの混乱の中でも、研修生たちは動じることなく、変わらず現場で会社を支え続けてくれました。会社にとって、彼らは特別な感謝を捧げたい世代だったのです。
だからこそ会社は、その第一期生を送り出す節目に、通訳として長く彼らを支えてきた加藤さんのライブを企画することを決めました。加藤さんにとっても、食堂でのライブは初めての経験だったそうですが、快く引き受けてくれました。
普段は社員が昼食をとるだけの、なんの変哲もない場所です。テーブルを片づけ、簡単な機材を並べただけの、ステージと呼ぶにはあまりに簡素な空間でした。
そこで歌う加藤さんを見て、ファンになりました。
有名なホールでもライブハウスでもない。「会社の食堂」という日常的な場所で、研修生たちへの感謝を込めて開かれたライブだったからこそ、今でも記憶に残っているのだと思います。特別な演出があったわけではありません。ただ、歌が持っている力のようなものを、あの日初めて感じた気がします。
そのときに聴いた曲の一つが「Terima Kasih」でした。
まさか14年後、遠く離れたマカッサルで同じ歌を聴き、その言葉の意味を自分自身の14年間に重ねることになるとは、このときは知る由もありませんでした。
その年の8月23日。
加藤さんがインドネシアへ本格的に活動の場を移す前、日本でのラストライブを荻窪まで見に行きました。小さな会場でしたが、これから海外に出ていく人を送り出すような、少し特別な空気があったのを覚えています。
この時点では、自分はあくまで日本から加藤さんを見送る側でした。
まさか十数年後、自分自身もインドネシアで暮らすことになるとは思っていませんでした。ましてやマカッサルで会社を経営し、そこで再び加藤さんのライブを見ることになるなど、想像もしていませんでした。あの夜の自分に「お前もいずれインドネシアに住むぞ」と言ったら、笑って取り合わなかったと思います。
それから2年後の2014年。
中小機構のFSで、自分自身がインドネシアを訪れることになりました。
2014年10月19日、すでにインドネシアへ活動の場を移していた加藤さんに、現地事情についてブリーフィングをお願いしました。日本での「見送る側」から、インドネシアで「教えてもらう側」へ。立場が少しだけ入れ替わったような感覚がありました。
出張前のメールを今でも残しています。その中で加藤さんは、インドネシアでの生活が6か月目に入ったことを報告し、「徐々に蒔いていた種が芽を出し始めた」と書いていました。一方の私は、中小機構の支援を受けて、これからインドネシアでの事業の可能性を探ろうとしていた頃です。
そして10月19日の夜、プルマンジャカルタのロビーで加藤さんと会いました。今になって思えば、あの頃は二人とも、それぞれ違う形でインドネシアに種を蒔き始めた時期だったのかもしれません。
2012年には「インドネシアへ行く加藤さん」を日本で見送りました。2014年には、自分がインドネシアを訪れ、加藤さんから話を聞いています。
今振り返ると、この頃から少しずつ、自分自身とインドネシアとの距離も縮まっていたのだと思います。まだ移住するとは決めていませんでしたが、何かが少しずつ動き始めていました。
その後、加藤さんはインドネシアで音楽活動を続け、現地で活躍の場を広げていきました。
一方の私も、いろいろな出来事を経てインドネシアへ。そして、いつしかマカッサルが生活と仕事の拠点になりました。
別々の場所で過ごした10年以上。その時間が、2026年のマカッサルで再び交わることになります。
2026年8月22日。NIPPON DAY 2026の会場で、久しぶりに加藤さんのライブを見ます。
メインゲストとして「Hiroaki Kato」の名前があり、プログラムにはアコースティックライブが組まれていました。7年ぶりに復活したNIPPON DAY。日本と南スラウェシをつなぐイベントのステージに、かつて日本でインドネシア人研修生たちの通訳をしていた加藤さんが立っています。
そして客席には、かつて日本でその姿を見ていた自分がいます。
ただし今の自分は、日本から来た観光客でも出張者でもありません。マカッサルで暮らし、ここで仕事をしています。そのことに気づいたとき、少し不思議な気持ちになりました。客席に座っているだけなのに、自分の立ち位置が14年前とはまるで違うことを、改めて実感させられたのです。
久しぶりにライブを見て感じたのは、14年という時間でした。長い年月をインドネシアで過ごし、日本とインドネシアの間で活動を続けてきた人だからこそのステージになっていました。歌い方にも、観客との距離の取り方にも、会社の食堂で見たあの日とは違うものがありました。
そして、その14年という時間は、私にも流れていました。
2012年、私は日本の会社員でした。2014年、FSでインドネシアの可能性を探っていました。そして2026年、私はマカッサルで会社を経営しながら、このステージを見ています。加藤さんの14年間を見ながら、いつの間にか自分自身の14年間も振り返っていました。
ライブの前、加藤さんと少し話す機会がありました。そこで気づいたのは、日付の偶然でした。荻窪でのラストライブは2012年8月23日。そして今回のNIPPON DAYは2026年8月22日。14年の歳月を挟んで、ほとんど同じ時期に重なっていたのです。
「こんな偶然が重なるとは」と、二人で驚きました。狙ったわけでもないのに、日本での見送りとマカッサルでの再会が、カレンダーの上でもほぼ同じ場所に並んでいる。そのことが、なんだか妙に嬉しく、そして少し不思議でした。
「今という瞬間に、ありがとう」
そして、この日のライブで最も個人的な思いにつながるのが「Terima Kasih」でした。
加藤さんが昔から大切に歌い続けている、あの曲です。日本語とインドネシア語が交互に重なるサビの中で、こんな言葉が聞こえてきました。
「今という瞬間に ありがとう Terima Kasih」
その一節が耳に入った瞬間、14年分の記憶が一気に重なりました。
2012年、前職の会社の食堂で歌っていた加藤さん。同じ年の8月23日、荻窪で見た日本ラストライブ。2014年、インドネシアで加藤さんにブリーフィングをお願いした日。そして2026年、自分が暮らすマカッサルで、ステージに立つ加藤さん。
会社の食堂も、荻窪のライブも、そのときは単なる一つの出来事でしかありませんでした。でも今、振り返ってみると、それらは全部、一本の線になっています。
同じ歌のはずなのに、2012年に聴いたときとは、まったく違って聞こえました。
あれから14年。
いろいろなことがありました。
そして今、私はマカッサルにいます。
Terima Kasih。
この言葉が、これほど似合う一日もありませんでした。