「今日の午後には、タコが届きます」
そう言われて、私は工場で待っていた。
午後1時。まだ来ない。午後3時。まだ来ない。 加工のラインは、いつでも動かせる準備ができている。あとは、原料が届くだけだった。
日本にいた頃は、時間どおりに動くことが当たり前だった。 その感覚のまま、私は何度も港の方角を見ていた。
午後5時を過ぎて、ようやく船が港に着いた。 納期が守られない。連絡もない。最初の頃は、そのたびに苛立っていた。
その日、私は納得がいかなくて、港まで様子を見に行った。
漁師の一人が、船を降りながら、涼しい顔で網を担いでいた。 日に焼けた腕には、何もつけていなかった。時計も、腕輪も、何も。
「時計は、持たないんですか」
聞いてみると、彼はポケットからスマートフォンを取り出して見せた。 画面には、ひびが入っていた。
「海の上には持っていかない。濡れて壊れるだけだ」
漁に出るときは、潮の満ち引きと、太陽の位置を見て動くのだという。 それだけだった。
彼にとって、一日の区切りは、時計の針ではなかった。
潮が満ちる。潮が引く。 風の向きが変わる。魚の群れが動く。 太陽の高さで、あとどれくらい漁ができるかが分かる。
「何時に戻るか」ではなく、 「潮がどう動くか」で、一日が組み立てられていた。
私だけが、 「遅れている」 と思っていた。
その日から、工場の窓越しに港を眺めるようになった。
港では、誰も時計を見ていなかった。 それなのに、みんな、同じことを知っているように動いていた。
網を片付ける人、船を岸に寄せる人、魚を選り分ける人。 誰も声をかけ合っていないのに、動き出す瞬間が、なぜか揃っていた。
彼らが見ているのは、時計ではなく、空だった。 太陽の高さ、雲の流れ、風のにおい。 潮が引き始めると、少しずつ、港全体の空気が変わっていく。
それは、言葉にできない合図のようだった。
夕方になると、空の色が変わるのと同じ速さで、船が一隻、また一隻と戻ってくる。 誰も号令をかけていないのに、港全体が、その時間に向かって静かに動いていた。
日本へ帰ると、今でも、つい時計を見てしまう。
でも、マカッサルでは、 空を見ることが増えた。
海には、 時計より大事なものがあった。
それは、 時計には映らない時間だった。