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思い通りにならない場所で。 工場が動かなかった、あの二日間

記事の冒頭
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その朝、工場に着くと、ラインは静かなままだった。

冷凍機の音も、コンベアの音もない。人だけが、黙って立っていた。

図面はできていた。機械も届いていた。人も揃えていた。あとは動かすだけ、のはずだった。

「電気系統のトラブルです」

現地のエンジニアはそう言って、それ以上は何も言わなかった。

いつ分かるのか。いつ直るのか。誰も答えてくれない。

50歳で会社を辞め、25年勤めた業界を離れ、この国に来た。

貯金のほとんどをつぎ込み、家族にも心配をかけながら、ようやくここまで来た。

その最初の工場が、動かない。

日本にいた頃の私なら、その場で原因を洗い出し、対策を立て、人を動かしていたと思う。

それが「仕事ができる」ということだと、ずっと信じてきた。

でも、この日は違った。私にできることは、何もなかった。

何もできない、という時間

その日の夜、ホテルの部屋で、天井をずっと見ていた。

「このまま会社が立ち上がらなかったらどうしよう」

「日本を出た判断は、間違っていたんじゃないか」

一度そう考え始めると、止まらなかった。

携帯電話を何度も手に取っては、結局、誰にも連絡しなかった。

連絡したところで、電気系統は直らない。

翌朝も、工場のラインは静かなままだった。

私は、工場の前のベンチに座った。ほかにやることが、本当になかった。

港で、思い知らされたこと

ベンチに座っていると、港から魚の匂いが風に乗ってきた。

夕方になると、漁師たちが小さな船で戻ってくる。

その日、隣に腰を下ろした年配の漁師に、片言の言葉で話しかけてみた。

「今日は、どうでしたか」

「今日はこれだけ」

「明日は?」

「わからない」

それだけだった。彼はそう言うと、網を担いで歩いていった。

私は、「わからない」という言葉を、あんなに静かに言える人を、それまで見たことがなかった。

波の音と、沈んでいく夕日を見ながら、私は自分がずっと抱えていた前提に気づいた。

「予定通りに進むこと」を、私は当たり前だと思い込んでいた。

私が「当たり前」だと思っていたことは、この国では当たり前ではなかった。

自分で動かせることと、動かせないことがある。頭では知っていたはずのことを、あの二日間で、初めて体で理解した気がする。

工場は、結局二日後に動き出した。私が何かを解決したわけではない。ただ、待っただけだ。

でも、あの二日間、天井を見て眠れなかった夜も、

港で漁師と交わした短い会話も、なかったことにはできない。

あの何もできなかった時間があったから、今の私がある。

人生は、思い通りに進んだ日よりも、

思い通りにならなかった日に教えられることの方が多い。

あの日から私は、

「待つ」という時間にも意味があるのだと、少しずつ思えるようになった。

記事の最後
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kenji kuzunuki

葛貫ケンジ@インドネシアの海で闘う社長🇮🇩 Kenndo Fisheries 代表🏢 インドネシア全国の魅力を発信🎥 タコなどの水産会社を経営中25年間サラリーマン人生から、インドネシアで起業してインドネシアライフを満喫しています。 インドネシア情報だけでなく、営業部門に長年いましたので、営業についてや、今プログラミングを勉強中ですので、皆さんのお役にたつ情報をお伝えします。