ラマダンが始まると、日本にいる友人からよく聞かれることがあります。
「断食なんでしょう? じゃあ外食も減るし、経済は静かになるんじゃないの?」
たしかに、そう思うのは自然です。
日の出から日没まで飲食を控えるのですから、消費は落ち込むと考えるほうが合理的に見えます。
けれど、実際にインドネシアで暮らしていると、まったく違う風景が広がっています。
モールは混雑し、レストランはイフタール(断食明けの食事)の予約で埋まり、ギフト売り場は山積みの商品であふれます。スーパーのレジには長い列ができ、道路はいつも以上に渋滞します。
体感としては、むしろ「経済が最も動く月」に近いのです。
なぜ、断食月なのに消費は伸びるのでしょうか。
ラマダン中の昼間は、確かにいつもより静かです。
多くの人が空腹と向き合いながら仕事をし、カフェの客足は落ちます。
けれど日没が近づくと、空気が一変します。
夕方のスーパーは急に活気づきます。
揚げ物コーナーには行列ができ、甘い飲み物が山積みになり、デーツやシロップが飛ぶように売れていきます。
そして日没のアザーンが鳴ると、一斉に“解禁”の時間が始まります。
家族で囲む食卓。
同僚と集まるイフタール会。
友人同士のブカプアサ(断食明け食事会)。
昼の抑制が、夜の消費へと転換されるのです。
これは単なる食事ではありません。
「我慢の反動」でもなく、「宗教的義務」でもありません。
一日をやり切ったことへの、小さな祝祭です。
ラマダン後半になると、街の様子はさらに変わります。
ショッピングモールの中央には特設ブースが並び、洋服やお菓子のギフトセットがずらりと並びます。家族や親戚、従業員、取引先へと贈るための品々です。
ラマダン明けのレバラン(イドゥル・フィトリ)は、日本で言えば正月のような存在です。人々は帰省し、新しい服を着て、親族と再会します。
この時期に欠かせないのが、THR(宗教手当)と呼ばれるボーナスです。企業は従業員に追加給与を支給します。現金が一気に市場に流れ込むのです。
消費が伸びる理由は、感情だけではありません。
構造的にも、購買力が高まる設計になっているのです。
ラマダン後半、もう一つ大きな動きがあります。
ムディック(帰省)です。
ジャカルタから地方へ、都市から故郷へ。
数百万人単位で人が移動します。
人が動けば、お金も動きます。
高速道路は混み、ガソリンスタンドは忙しくなり、地方の小売店やワルンはにぎわいます。都市部の消費が落ちても、地方経済が一気に活性化します。
これは単なる移動ではなく、「資金の再分配」のようにも見えます。
ラマダンは都市と地方を結ぶ、大きな経済循環の装置でもあるのです。
ラマダンの消費を見ていると、あるリズムに気づきます。
抑制と解放。
昼間は抑え、夜に解放する。
一か月間我慢し、最後に祝う。
人間の心理は、常に均衡を求めます。
抑えられたものは、どこかで解放されます。
ラマダンは、そのリズムを制度化した月とも言えるのではないでしょうか。
断食は消費の停止ではなく、消費の再設計なのかもしれません。
経営の目線で見ると
ラマダンは、企業にとっても特別な月です。
在庫を積みすぎれば、レバラン後に売れ残る。
価格を上げすぎれば、反発を招く。
人員配置を誤れば、ピークに対応できない。
需要は伸びますが、同時にリスクも増します。
ラマダンは売上が伸びる月であると同時に、「経営力が試される月」でもあるのです。
だからこそ、毎年この時期になると、企業の実力差がはっきりと見えてきます。
日本にいると、ラマダンは宗教的行事として語られることが多いかもしれません。
けれど、現地で暮らしていると、それ以上のものだと感じます。
家族の時間。
共同体の再確認。
お金の再分配。
都市と地方の接続。
ラマダンは、社会を一度リセットし、再接続する月のようにも見えます。
そして、その再接続の中で、消費は自然と拡大します。
断食なのに、なぜ消費は伸びるのか。
その答えは、「人間は我慢の後に祝う存在だから」だけではありません。
ラマダンという制度そのものが、消費と再分配を組み込んだ社会設計になっているからです。
静かな昼と、にぎやかな夜。
抑制と解放。
都市と地方。
ラマダンを見ていると、インドネシアの経済は感情と制度の両方で動いていることがよく分かります。
宗教月でありながら、経済月でもある。
それが、私がこの国で毎年感じているラマダンの姿です。