インドネシア初の高速鉄道「WHOOSH」は、開通からわずか2年で返済延長と汚職捜査の波に揺れている。華々しいスタートの裏で何が起きているのか。60年返済合意やKPK(汚職撲滅委員会)の捜査背景から、事業の採算性、政治的影響、そして今後の行方をお伝えします。
2023年に華々しく開業したインドネシア初の高速鉄道「WHOOSH(ウーシュ)」。ジャカルタからバンドンまでの142キロを最速45分で結ぶこの列車は、東南アジア初の本格的な高速鉄道として大きな注目を集めました。“国の誇り”とまで称されたこの鉄道に、今、暗雲が漂っています。
中国からの融資返済を60年に延長する異例の決定、そして汚職撲滅委員会による本格捜査。開通からわずか2年で何が起きているのか。この巨大プロジェクトが抱える問題を見ていきましょう。
10月下旬、インドネシア政府は中国からの融資返済期間を60年に延長することで合意したと発表しました。当初は40年程度とされていましたが、それを20年も伸ばすという前例のない措置です。政府関係者は「財政的な柔軟性を確保するため」と説明していますが、専門家からは「問題の先送りに過ぎない」との批判が相次ぎました。
実際、開業から2年が経過しても、この高速鉄道の収益は安定していません。運賃収入だけで建設費をまかなうのは難しく、返済を先延ばしにせざるを得ないほど、事業採算性が厳しいことを示しています。「60年返済」というのは、つまり三世代先まで借金を背負うということです。このまま収益改善が進まなければ、最終的に国の税金で穴埋めされる可能性もあります。
さらに10月末、インドネシア汚職撲滅委員会(KPK)はこの高速鉄道建設事業をめぐる汚職疑惑の本格捜査を開始しました。捜査はすでに2025年初頭から進められていたとされ、契約費用の水増しや建設コストの不透明さなどを中心に調べが行われています。WHOOSHの建設費は当初の予算を大幅に上回り、その差額の一部が「どこに消えたのか」が焦点になっています。
KPKは関係企業や元政府高官から事情聴取を進めており、前政権の象徴的プロジェクトにまでメスを入れる異例の動きとなっています。この背景には、ジョコ・ウィドド前政権から新政権への交代による政治的な力関係の変化もあるとみられます。これまで“聖域”とされてきた領域に、ようやく光が当たり始めたとも言えるでしょう。
高速鉄道の建設には莫大な費用がかかります。WHOOSHの総事業費は当初より大幅に膨らみ、最終的にはおよそ100億ドル規模に達したとされています。
しかし開業後の乗客数は想定を下回り、満席運行が続いているとは言い難い状況です。運賃も地元市民にとっては決して安くなく、「結局バスの方が便利」という声も少なくありません。
インドネシアにとって高速鉄道は確かに“夢の象徴”でしたが、現実には「誰が利用するのか」「どれだけの需要があるのか」という根本的な課題が残っています。
今回の返済延長は短期的には負担軽減になりますが、長期的にはリスクの先送りです。60年という期間は、もはや“1つの時代”を超える長さ。返済の途中で金利が上昇したり為替が変動したりすれば、その負担はさらに増します。しかも詳細な契約内容は公開されておらず、どのような条件で延長が決まったのかも不明です。
インドネシア政府がどこまでリスクを負い、中国側がどれほどの発言権を持っているのか――その不透明さが、今後の火種になるかもしれません。
汚職疑惑の焦点は、まさにこの部分にあります。建設費がどのように膨らみ、誰がどこでどんな利益を得たのか。公共事業において“透明性”が欠けると、どんなに素晴らしいインフラも国民の信頼を失います。
特に今回の高速鉄道は、中国とインドネシアの合同事業体「KCIC」が中心となって進められており、その契約構造の複雑さが問題を見えにくくしています。
ジョコウィ前大統領の強力なリーダーシップのもと、「スピード優先」で進められた結果、手続きや監査の部分で甘さが残ったのではないかという指摘もあります。
もう一つの課題が、“使いにくさ”です。
ジャカルタ側の発着駅「ハリム駅」や、バンドン郊外の「パダララン駅」、終着の「テガルアール駅」はいずれも市中心部から離れています。
そのため、「駅までのアクセスに時間がかかり、さらに中心街までの移動も不便」という声が多く聞かれます。
「トータルで見れば車やバスとあまり変わらない」と感じる利用者も少なくありません。
高速鉄道そのもののスピードは速くても、“駅までの交通インフラ”が整っていなければ、移動全体の時間短縮にはつながらないのです。
このプロジェクトの構造的な問題は、「政治と経済の混在」にあります。インドネシア政府にとってWHOOSHは、単なる交通インフラではなく「国の近代化を象徴するプロジェクト」でした。そのため、採算性やリスクよりも「とにかく成功させること」が優先された面があります。
また、中国との連携を通じて「一帯一路」構想の一角を担うという外交的意味合いも強く、政治的思惑が複雑に絡み合いました。結果として、スケジュールの遅れ、コスト増、契約の不透明化という典型的な大型プロジェクトの落とし穴に陥ったのです。
2025年以降、インドネシア政府とKCICは路線延伸や利用促進策など、次のステップを検討しています。しかし今、最も問われているのは「この鉄道が本当に持続可能なのか」という根本的な問題です。
高速鉄道が生き残るためには、
といった地道な取り組みが欠かせません。また、KPKの捜査がどこまで進み、どんな事実が明らかになるかも、今後の世論に大きな影響を与えるでしょう。
インドネシアの高速鉄道は、間違いなく国の技術と未来への希望を象徴するプロジェクトでした。
開業当初、駅に詰めかけた人々の表情は誇らしげで、車体に描かれた「WHOOSH」のロゴには明るい未来への期待が込められていました。しかし、2年が経った今、夢の裏側では借金と疑惑が重くのしかかっています。華やかなスタートの影で、運営の現実が徐々に浮き彫りになってきたのです。
返済延長と汚職捜査。
これらのニュースは、高速鉄道という「近代化の象徴」が、いまや“持続可能性という現実”と向き合う段階にあることを示しています。インドネシアのこの経験は、他の開発途上国にも共通する教訓を与えます。
すなわち、建設よりも、その後をどう運営するかこそが、インフラの真価を決めるということです。
このWHOOSHが、ただの“重い遺産”となるのか、それとも本当の意味で国をつなぐ希望の鉄道となるのか。その行方を、私たちはこれからも見守る必要があります。