インドネシア南スラウェシ州の中心都市・マカッサル。港町として古くから海の恵みに支えられてきたこの街では、魚やエビ、イカといった海鮮料理が日常の主役です。しかし、それらの味を完成させる陰の主役がいます――それが「サンバル・ダブダブ」です。サンバルと聞くと、単なる“辛いソース”を思い浮かべる方も多いかもしれません。けれどもマカッサルの食卓では、それは調味料を超えた文化の一部として存在しています。辛さ、酸味、香りのバランスを通して、人々の暮らしや気候、そして素材との向き合い方が見えてくるのです。
今回訪れたのは、マカッサルの人気シーフード店「Nelayan」。
テーブルには焼き魚とエビ、そして6種類のサンバルがずらりと並びました。色も香りもまったく異なるその光景は、まるで小さな“味の博物館”のようでした。
インドネシアには、数百種類ものサンバルがあるといわれています。
ジャワでは甘辛い「サンバル・ケチャップ」、スマトラでは濃厚な「サンバル・トラシ」、そしてマカッサルではトマトやジュルク(小さなライム)、時には未熟マンゴーを使った酸味のあるタイプが主流です。
マカッサルの人々にとって、サンバルは辛味を足すだけのソースではありません。
**食材の個性をつなぐ“架け橋”**であり、味覚を通して季節や土地を感じるためのツールなのです。
本来のサンバルづくりには、「チョベッ」と呼ばれる石臼が欠かせません。
唐辛子をにんにく、トマト、トラシ(エビペースト)とともに潰し、香ばしさと旨味を引き出します。チョベッの重みで素材が潰れる瞬間、香りが一気に立ちのぼります。そこに少量の塩やジュルクを搾ると、まさに味のバランスが完成します。この“潰す”という工程にこそ、インドネシア人の食文化の哲学が感じられます。手を動かしながら、香りや質感を確かめる――その時間が、食卓への思いを深めているのです。
シンプルでいて、奥が深い
一方で「ダブダブ(Dabu-dabu)」は、北スラウェシやマカッサルで広く親しまれる生タイプのサンバルです。
調理といっても、火を使いません。刻んだトマト、紫玉ねぎ、唐辛子をボウルに入れ、そこへジュルクを搾り、塩をひとつまみ。素材の水分だけで味をまとめます。このシンプルさが、マカッサルの合理的な文化を象徴しています。
新鮮な魚が手に入る港町だからこそ、手を加えすぎず「素材の生命力をそのまま味わう」という考えが根づいているのです。
焼き魚(イカン・バカール)に、このダブダブを少しのせると、味が一変します。
香ばしく焼けた皮とふっくらした身に、トマトの酸味とライムの爽やかさが重なり、海の香りがふわりと広がります。まるで日本の刺身にわさびを添えるように、ダブダブは魚の“輪郭”を際立たせる存在です。その瞬間、辛さよりも“鮮度の記憶”が舌に残ります。
まるで海辺の風が吹き抜けたような清涼感――これこそがマカッサル流の「生の美味しさ」なのです。
マカッサルでは、料理が運ばれる前にまずテーブルがカラフルなサンバルで埋まります。
マンゴーの細切りを使ったもの、黒糖とトラシを合わせたコクのあるもの、真っ赤なトマトベースのもの――まるで絵の具のパレットのようです。
これらを少しずつ焼き魚やエビに合わせていくと、同じ料理でも印象ががらりと変わります。
特に、焼きたてのエビにダブダブをのせた瞬間――口の中で辛味と酸味、海の甘みが溶け合い、まるで波打ち際の風景が蘇るような感覚になります。
「これが一番辛いよ」「この黒いのは甘いから安心」など、誰もが自然にサンバルの話を始め、味見をし合います。そこには“共有する楽しみ”があります。辛いものを食べながら顔をしかめ、笑い合う――このやり取りこそが、マカッサルの食卓の醍醐味です。
サンバルやダブダブを囲む光景には、家族のつながり、友人との絆、そして旅人へのもてなしが詰まっています。辛さを共有することが、心の距離を縮める“儀式”のようになっているのです。
サンバルやダブダブは、単なる調味料ではなく文化そのものです。それは、素材を尊び、手間を惜しまない心。そして、辛さを通じて人と人がつながる、マカッサルらしい温もりの表現でもあります。
食べる人が汗をかき、笑顔を交わす――その瞬間にこそ、この街の食文化の真髄があります。辛さは刺激ではなく、共感の味なのです。
マカッサルの食卓に並ぶサンバルとダブダブ。その一匙には、海の香りとともに、土地の人々の誇りと優しさが詰まっています。マカッサルを訪れるときは、焼き魚を注文して、ぜひサンバルをひと口ずつ味わってみてください。そこには、言葉を超えた“インドネシアの心の味”が広がっています。