ラマダンは、イスラム教徒にとって神聖な断食月です。
でも、インドネシアで暮らす外国人にとっても、
この1か月は特別な意味を持ちます。
なぜなら、
社会の「時間の流れ」そのものが変わるからです。
ラマダンは、単なる宗教行事ではありません。
街のリズム、働き方、人の感情、交通、消費、すべてが変わる。
そして私たち外国人も、その流れの中にいます。
最初の年。
午前3時。
突然、スピーカーから流れる声と太鼓の音で目が覚めました。
「アラーム?」
違います。
サフール(夜明け前の食事)の時間を知らせる音です。
モスクからの呼びかけ。
地域によっては若者の行進。
最初は正直、驚きます。
でも数年経つと、こう思うようになります。
ああ、今年も始まったな。
これは迷惑音ではなく、
この国の“季節の音”。
日本で言えば、盆踊りの太鼓や除夜の鐘のようなもの。
止めるべきものではなく、
その土地に根付いた文化です。
外国人としてできることは一つ。
慣れること。
それが一番平和です。
多くの企業で勤務時間が短縮されます。
8:00〜15:00。
集中力は午前中に偏ります。
午後はエネルギーが落ちる。
決裁が遅い?
反応が鈍い?
それは怠慢ではありません。
空腹と水分不足の中で働いているのです。
この1か月だけは、
スピードより理解を優先する。
これが外国人駐在員のコツです。
断食中、人は繊細になります。
だから私は決めています。
ラマダン中は怒らない。
トラブルがあっても、
「ラマダン明けに話そう」
1か月待てば済むことは、
今ぶつけない。
それだけで人間関係は守れます。
断食中、ムスリムの同僚は飲みません。食べません。
では外国人はどうするか。
食べます。飲みます。
ただし、
・会議室で静かに
・カーテンのある店で
・水は目立たないボトルで
これは強制ではありません。
法律でもありません。
でも、空気があります。
インドネシアは多宗教国家です。
キリスト教徒も、ヒンドゥー教徒も、仏教徒もいます。
だからこそ、
「権利として堂々とやる」より
「少しだけ配慮する」
その方が、この国ではうまくいきます。
断食していない人も、
断食している人も、
お互いに見えない気遣いをする。
それがラマダンの空気です。
日没前の1時間。
町は急にざわつきます。
渋滞が激化。
レストランは満席。
Grabは捕まらない。
みんな急いでいます。
それは怒りではなく、
家族と一緒に最初の一口を食べたいから。
ここを理解すると、イライラが減ります。
私はいつも、
✔ 早めに食事を済ませる
✔ 自炊する
✔ 20時以降に動く
と決めています。
ラマダン中は、
“自分の時間軸”をずらすことが大切です。
正直に言えば、
・朝3時に起きるのは辛い
・昼のコーヒーを堂々と飲めないのは不便
・渋滞はストレス
でもそれ以上に感じることがあります。
人が優しくなる。
寄付が増える。
家族時間が増える。
夜のモスクは幻想的で、
町がどこか穏やかになる。
ラマダンは外国人にとって、我慢の月ではありません。
共存を学ぶ月です。
文化の中に入るとは、100%快適になることではない。
少しだけ、自分の軸を動かすこと。
それができた時、この国との距離がぐっと縮まります。
ラマダンは、イスラム教徒だけの行事ではありません。
この国に暮らすすべての人が、何らかの形で関わる1か月です。
外国人としてできることは、
理解しようとすること。
少しだけ配慮すること。
そして、必要以上に構えないこと。
それだけで、十分です。