マカッサルに来た頃、私は「ここは東南アジアだし、物価は安いはずだ」と思っていました。街のタクシー代は安く、最初に飲んだコーヒーは日本の半額。そこで油断しました。
しかし、翌日。スーパーで普通に買い物をしただけで約5,000円。
レジ前で手が止まりました。
“安いはず”が、安くない。
この違和感は、観光感覚のままでは理解できないものでした。
4年住んで分かったのは、マカッサルは「安い街/高い街」の二択ではなく、
“どの生活圏で暮らすかによって物価が変わる街”だということです。
この三層が同時に存在している街なので、物価に対して「正解の答え」はありません。
生活者として、自分で選び続ける前提の街なのだと4年かけて理解しました。
富裕層や外国人が使う店では、コーヒーは350円前後、外食は千円前後。日本よりは安く感じますが、「日本式の生活水準を再現しようとすると支出が跳ね上がる」という違和感があります。
一方で、ローカル市場や路地の店に寄せれば価格は一気に下がります。
粉コーヒーは50円台、朝ごはんは100円台。しかし衛生や品質管理は自分の判断で対応する必要があり、「安い代わりに手間が増える」仕組みです。
マカッサルは“二重価格”ではなく“二重生活圏”。
そしてその境界線は観光地のように分かりやすく区切られていません。
同じ1kmの範囲で、この価格帯が混在しています。
だから「マカッサルって物価安いですか?」と聞かれても、
私はもうこう答えるようになりました。
安く暮らすことはできる。ただし、気づいたら高くなっていることもある街だ。
移動費だけでも、選択によって印象は変わります。
配車アプリ利用:数百円で快適。車種選択や送迎品質も安定
路上のバイクに声をかける:さらに安いが、交渉力と慣れが必要
自家用車を所有:快適さは上がるが、税金・駐車・修理・燃料で支出が別軸発生
「安い移動方法を知っているか」ではなく、
「その選択肢を自分の生活の軸にできるか」がポイントになります。
旅行なら安い方でいい。
でも、毎日仕事や生活があると、“選べるかどうか”が支出を分けると理解しました。
住まいはさらにわかりやすく差が出ます。
・アパートメント(6〜12万円)
建物・水回り・サービスが整っており、生活のストレスは圧倒的に減ります。
しかしその時点で「日本式生活」の再現コストが発生しやすく、食事や買い物の行動範囲も“高い方”に引っ張られていきます。
・ローカル住宅(3〜5万円台)
生活費は下がる一方、水回りは自力対応、電圧の変動、虫の出現など、調整力が求められます。
慣れれば負担は小さくなりますが、最初はストレスを含めた「学習コスト」が発生します。
4年住んで感じるのは、
“住居費は金額ではなく生活基準の宣言”だということです。
家賃をどこに置くかで、マカッサルでの生活の階層も決まります。
マカッサルで生活費が狂いやすいのはこの3つです。
水:現地方式でも十分。ただしブランドは妥協しない
医療:日本のような保険制度がしっかりしていないので病院にかかると高額化する領域。
なるべく健康維持前提で設計する。
食材:市場と輸入品を混ぜる“ハイブリッド型”が現実解
この3つは、安さ・安心・手間のバランスを常に取る感覚が求められます。
特に医療は、“健康=価格差”が一気に跳ねる領域です。
4年住んで最も警戒しているのは、実はここです。
誤解を恐れずに書くと、マカッサルはこういう街です。
安くできる。高くもなる。
ただし、自動的にどちらにも転ばない。
期待だけで来るとズレます。
けれど前提を理解して来るなら、ちゃんと応えてくれる街です。
安く暮らしたいなら「現地を選べる自分」を育てる
日本式に寄せたいなら「維持費」を理解して選ぶ
両者の中間で暮らすなら「設計」を学ぶ必要がある
4年住んで分かったのは、物価自体が魅力ではなく、“選択の余地”が魅力だということでした。
節約よりも先に、次の3つだけ決めて来ると生活が安定します。
譲れるもの
譲れないもの
現地で判断して良いもの
この3つを持った上で住むと、「不安な街」から「調整できる街」に変わります。
4年住んだ今でも、私はまだこの街に慣れきっていません。
でも、それでいいのかもしれません。
マカッサルは、慣れない余白ごと受け入れていく街だからです。