マカッサルのカフェ文化が静かに変化しています。かつては甘いコピと軽食が中心でしたが、今は時間と体験に価値を払う層が登場し始めました。Ratu Indah Mall「Monsieur Spoon」は、その変化を象徴する場所です。フランス人創業の本格ベーカリーが誕生させた世界観は、街に新しい境界線を引こうとしています。同じ店にいながら違う意味で利用されるカフェという空間から、“選べる生活”と“選べない生活”の差を考察します。
マカッサルで暮らしていると、近年カフェに関する変化が生まれていることに気づきます。以前は、ローカルのワルンで甘いコピと揚げ菓子をつまみ、友人と話しながら過ごすのが一般的なカフェ文化でした。しかし現在では、ランチを楽しむためのカフェ、仕事を持ち込むカフェ、写真を撮るためのカフェ、そして「時間を過ごすためのカフェ」が登場し始めています。
その象徴と言えるのが、ラトゥインダモール入口にある「Monsieur Spoon(ムッシュー・スプーン)」です。初めて目にしたとき、「マカッサルもここまできたのか」と感じました。都市が成熟し、役割の異なる店が並び始めるとき、そこには生活の階層が静かに現れ始めます。Monsieur Spoonは、その境界線が見え始めた最前線のように感じられました。
Monsieur Spoonは2012年にバリ島で誕生しました。パリ出身のいとこ同士が創業し、フランスのパン作りの技術や伝統的なレシピをインドネシアに根付かせることを目指したと公式サイトに記されています。高品質の小麦粉や天然酵母、そして手作業へのこだわりがブランドの核となっており、その姿勢は提供される商品や店内の空気に反映されています。
単に「海外風のおしゃれな店」をつくったのではなく、「世界観を持ち込む店」を成立させているからこそ、価格にも雰囲気にも理由が感じられます。価格が先にあるのではなく、価値が先にある。この構造が、ローカルカフェとの最初の違いであり、都市が変化する起点になっているのだと感じました。
モールの入口側という立地条件だけでなく、深いグリーンとゴールドを基調とした外観が印象的です。大理石調の床には照明が反射し、店名が淡く映り込んでいました。扉に手をかける前から、すでに空気が変わるような感覚が生まれます。
まるで店の前だけ時間の速度が変わったように静けさが生まれ、背筋が少し伸びるような空気があります。「今日はどんな時間を過ごそうか」と自分に問いかける入り口のように感じました。
店内に入ると、ショーケースに並べられたスイーツが目に飛び込んできます。抹茶やピスタチオ、チョコレートなど、どのケーキも端正で控えめな美しさがあり、それぞれが静かに存在を主張しています。
しかし、価格を見た瞬間、印象は現実味を帯びます。
ケーキは一つ Rp 50,000〜80,000。
コーヒーは Rp 30,000〜50,000。
食事は Rp 80,000〜150,000 に達することもあります。
この価格帯は、単に「高い・安い」で済む話ではなく、“選択できる生活かどうか”という現実を浮かび上がらせます。同じ街に住んでいても、この店との距離感は人によって違う。そのことを、スイーツが静かに物語っているように思いました。
席に座ると、視界に余白があることに気づきます。席と席の距離、生花の飾られたテーブル、温度を抑えた照明、雑誌が置かれたインテリア。それらは、ただ飲食を提供するためではなく、「その人の時間を整えるため」に存在しているようでした。
アイスアメリカーノは、強い苦味で主張するのではなく、後味が静かに消えていくタイプで、思考を邪魔しません。暑いマカッサルで一息つくのに最適な一杯で、飲み終わったあと、少し呼吸が整うような感覚すらあります。
クロワッサンバーガーは印象的でした。サクサクのクロワッサン生地から香るバター、ジューシーなパティ、チーズと卵の重なり。添えられたポテトにはハーブとチーズが振りかけられ、ソースが二種類用意されています。一皿ごとに「この値段には理由がある」と伝えてくるような仕上がりで、単なる食事以上の行為に感じられました。
訪れる人々を眺めていると、この店をどのように利用しているかの違いがはっきりと見えてきます。ランチを楽しむ家族、PCで作業を進めるひと、写真を撮るために来た若者、ショーケースだけ見て帰る人。
同じ空間にいながら、店と過ごしている“意味”がそれぞれ違います。そこには、可視化されにくいはずの生活の差が、思わぬ形で浮かび上がっていました。
誰が正しいわけでも、誰が間違っているわけでもありません。ただ、この街がいま、“分かれ道の上”に立っていることだけは確かだと感じました。
ワルンから始まったカフェ文化は、低価格帯から中価格帯、そしてMonsieur Spoonのような高価格帯へ広がっています。これは都市の成熟とも言えますが、同時に問いも生まれます。
「この変化は誰のためのものなのか」
「この先、どの層が置き去りになるのか」
「それでも都市の成長と言えるのか」
便利さや洗練の裏側で、選べるかどうかで生活が分かれる現象が進んでいるのだと実感しました。
Monsieur Spoonを出たとき、ただ洋風カフェを満喫した満足感だけが残ったわけではありません。それよりも、「マカッサルという街は、この先どこへ向かうのだろう」という問いのほうが心に残りました。
選択肢が増えることは前向きな変化ですが、同時にその選択肢が“誰に開かれているのか”によって風景が変わります。
都市は店を変えるのではなく、店を通して都市の姿が見えてくる。
Monsieur Spoonは、マカッサルという街の“現在地”を映す鏡のような場所に感じられました。