海外で生活していると、あることに気づきます。
同じような環境にいても、自然に続いている人と、どこかで立ち止まってしまう人がいる、ということです。
語学力の差でしょうか。
仕事の能力でしょうか。
それとも、環境への適応力でしょうか。
実際には、そのどれもが決定的な要因ではないように見えます。
むしろ違いは、「何を持っているか」よりも、「何を手放しているか」にあります。
海外生活が長く続いている人たちは、
あるものを、無意識のうちに手放しています。
それは、大きな決断ではありません。
気づかないうちに、少しずつ、静かにです。
海外生活を始めたばかりの頃、多くの人がこう思います。
仕事もきちんとやらなければ。
語学も伸ばさなければ。
現地社会にも溶け込まなければ。
どれも正しい考え方です。
真面目で、前向きで、努力家です。
ただ、この「全部をちゃんとやろう」という感覚は、
長期戦になると、少しずつ人を疲れさせていきます。
海外では、日本にいるとき以上に、
「ちゃんとやる基準」が曖昧になります。
正解が分からないまま、
自分で基準を作り続けなければならない。
この状態が続くと、知らないうちに消耗していきます。
続いている人は、「完璧」を前提にしません
海外生活が続いている人たちは、
最初から完璧を目指していません。
語学が足りなくてもいい。
分からないことがあってもいい。
違和感が残っていてもいい。
そうした「不完全さ」を、
生活の一部として受け入れています。
ここで重要なのは、
妥協しているわけではない、という点です。
彼らは、
完璧であることよりも、「続くこと」を優先しています。
この優先順位の違いが、
時間が経つほど、大きな差となって表れてきます。
海外生活をしていると、
自分の意図や背景を、常に説明しなければならない場面が増えていきます。
仕事でも、日常でも、
説明しなければ誤解されることがある。
そのため、多くの人は
「ちゃんと理解してもらおう」と頑張ります。
ただ、海外生活が長く続いている人たちは、
この感覚も少しずつ手放しています。
全員に理解される必要はない。
この前提に、静かに切り替えているのです。
説明しないことは、諦めではありません
「分かってもらえなくてもいい」と聞くと、
どこか投げやりな印象を受けるかもしれません。
でも、実際にはその逆です。
説明するエネルギーを、
本当に必要な場面にだけ使う。
それ以外は、
流してもいいと決める。
この判断ができるようになると、
精神的な負担は大きく減ります。
海外生活が続く人は、
説明を減らすことで、自分を守っています。
海外にいると、比較の材料が増えます。
他の日本人はどうしているか。
現地の人はどれくらいできているか。
自分は遅れていないか。
最初のうちは、これらの比較が
モチベーションになることもあります。
ただ、長期的には、
比較は消耗の原因になりやすい。
続いている人たちは、
いつの間にか、この比較をやめています。
他人のペースではなく、
自分の「持続可能な速度」を基準にする。
これも、無意識に手放しているものの一つです。
海外生活が長く続かない人ほど、
一つの場所にすべてを求めがちです。
仕事の達成感。
人間関係。
安心感。
成長。
これらを、すべて今いる場所で完結させようとする。
一方で、続いている人たちは、
この発想を自然に手放しています。
場所ごとに役割を分ける。
時期ごとに期待値を変える。
そうすることで、
一つの場所にかかる負荷を下げています。
「強くなり続けなければならない」という思い込み
海外に出ると、
「強くならなければならない」という空気を感じることがあります。
確かに、ある程度の強さは必要です。
ただ、それをずっと維持し続ける必要はありません。
海外生活が続いている人たちは、
強くなり続けることを目標にしていません。
むしろ、
弱くなっても戻れる状態を保つことを大切にしています。
この発想の転換が、
長く続くかどうかを大きく左右します。
無意識に手放すことで、続いていく
海外生活が続く人たちは、
最初から特別な考え方を持っていたわけではありません。
続ける中で、
少しずつ、無意識に手放してきただけです。
完璧であろうとすること。
全員に理解されようとすること。
他人と比べ続けること。
一つの場所にすべてを求めること。
これらを手放した結果、
生活は静かに安定していきます。
海外生活が続く人たちは、
何かを積み上げ続けているように見えます。
でも、実際にはその逆で、
余計なものを下ろし続けているのかもしれません。
重くしない。
抱えすぎない。
完結させようとしない。
その積み重ねが、
結果として「続いている状態」を作っています。
海外生活は、
強さの証明ではありません。
軽さの設計なのだと思います。