ビエンチャンの朝を静かに歩き、
寺院での穏やかな時間を身体に染み込ませたあと、
いよいよ今回の旅の大きな目的のひとつへ向かいます。
次の目的地は、世界遺産の街・ルアンパバーン。
移動手段は、かねてから一度は体験してみたいと思っていたラオス鉄道です。
街中ののんびりとした空気とは対照的に、
この鉄道は「国家規模のインフラ」としての存在感を強く放っています。
期待と、わずかな緊張を胸に、私はホテルを後にしました。
市内中心部から車で郊外へ約30分ほど向かうと、
ビエンチャン駅は突然、視界に飛び込んできます。
それまでの素朴な街並みとは明らかに異なる、
巨大で近代的な建築。
ガラスと直線を多用した外観は、
ラオスという国のイメージを良い意味で裏切るものでした。
駅構内に入ると、空気が一変します。
厳重なセキュリティチェック、広い待合スペース、電光掲示板。
ここはもはや「地方都市の駅」ではなく、
国際鉄道のハブそのものです。
そして何より目につくのが、中国語表記の多さ。
ラオス語、英語と並び、中国語が自然に存在している光景は、
この鉄道の成り立ちを静かに物語っていました。
この時点で、
「これはラオス国内の鉄道ではない」
という感覚が、じわじわと立ち上がってきます。
乗車が始まると、流れは非常にスムーズです。
係員の指示に従い、淡々と決められた車両へ向かいます。
この鉄道で印象的なのは、「待ってくれない」ことでした。
発車時刻が近づくと、扉は静かに、しかし容赦なく閉まり、
列車は躊躇なく動き出します。
どこか人情味のある東南アジア的な感覚とは一線を画す、
極めて合理的な運行。
それは安心感であると同時に、
この鉄道が“観光列車”ではないことを、最初から突きつけてくる瞬間でもあります。
車内はほぼ満席でした。
座席は新しく清潔で、レッグスペースも十分。
日本の特急列車と比べても、遜色のない快適さです。
一見すると、旅客向けの高速鉄道。
しかし、周囲を見渡してすぐに違和感を覚えました。
聞こえてくる会話、スマートフォンの音声、
視界に入る乗客の多くが中国人です。
ラオス人、欧米人、日本人は少数派で、
ここが「ラオス国内の列車」であることを忘れそうになります。
列車内で購入したお菓子のパッケージも中国語。
この鉄道が、誰のために整備されたのかを、
車内に座っているだけで実感させられました。
列車が本格的に走り出すと、その速さに驚かされます。
時速160km前後で走行し、車体はほとんど揺れません。
車窓に広がるのは、ラオスらしい緑豊かな山々や農地。
しかし、その風景は長くは続かず、
現れては消え、またトンネルへと吸い込まれていきます。
理由は明確です。
この路線は、トンネルと高架橋を多用し、
地形を極力無視するように敷設されているからです。
カーブは少なく、ほぼ直線。
「景色を楽しむための鉄道」ではなく、
「最短距離で大量輸送するための鉄道」。
その設計思想が、車窓からもはっきりと読み取れました。
途中、いくつかの駅に停車します。
かつてバックパッカーの聖地として知られたバンビエンも、そのひとつです。
意外なことに、ここではかなりの乗客が乗り降りしました。
大型スーツケースを引く欧米人、
団体で行動する中国人観光客。
この町が、鉄道によって
「単なる観光地」から
人が集まり、分散する拠点へと変わりつつあることが分かります。
それでも列車は長くは停まりません。
淡々と発車し、次の駅へ向かいます。
この鉄道において、駅は「物語の舞台」ではなく、
あくまで「通過点」。
その割り切りの強さが、印象的でした。
走行中、反対側の線路を貨物列車が通過していく場面があります。
長大な編成、連なるコンテナ。
その光景を見て、はっきりと理解しました。
この鉄道の本当の主役は、旅客ではありません。
中国南部と東南アジアを結ぶ物流ルート。
資源、農産物、工業製品を
大量かつ迅速に運ぶための“経済動脈”。
ラオスは内陸国ですが、
この鉄道によって中国経済圏の一部として組み込まれつつあります。
それは発展のチャンスであると同時に、
依存の始まりでもあります。
便利さの裏側にある、この静かな“闇”は、
観光パンフレットには決して載りません。
北へ進むにつれ、山の表情が変わっていきます。
切り立った岩肌、深い緑、川沿いの集落。
トンネルを抜けるたびに、
ラオスの自然が少しずつ顔を出し始めます。
それまで一直線だった旅が、
ようやく「風景のある移動」へと戻ってきた感覚でした。
列車を降りると、
そこにはビエンチャンとはまったく異なる空気が流れていました。
念願だったラオス鉄道の乗車体験は、
想像以上に多くのことを考えさせてくれました。
速く、快適で、確かに便利。
しかし同時に、中国の影響力、国家インフラの意味、
そしてラオスという国の立ち位置を、否応なく突きつけてくる存在でもあります。
この鉄道は、旅を楽にしてくれます。
けれど、旅を単純にはしてくれません。
静かな首都ビエンチャンから、
歴史と祈りの街ルアンパバーンへ。
その間を結ぶこの一直線の鉄路は、
ラオスの「今」を最も端的に映し出す場所なのかもしれません。
次は、この街でどんな時間が待っているのか。
そう思いながら、私は駅を後にしました。