ビエンチャン空港は小さく、正直「早く行く必要はない」と聞いていました。
ホテルをチェックアウトして空港へ向かうだけ——のはずが、この日はなぜか“待つ”が何度も挟まります。
バスターミナルで空港行きのバスを探し、カウンターのオープンを待ち、イミグレーションの再開を待ち、そして出発ロビーでまた待つ。
けれど不思議と、それが嫌なだけの時間になりませんでした。待っている間にも、ラオスの余韻がじわじわと残っていったからです。
ビエンチャンは、良い意味であっさりしています。
大都市みたいにせかされる空気が少なく、チェックアウトの瞬間まで“旅の速度”が上がりません。
ビエンチャン空港はこじんまりしていて、早めに行く必要はない——そんな話も聞いていました。市内から空港までは車で15分ほど。たしかに距離だけ見れば、焦る理由はありません。
ただ、初めて使う空港は何が起きるかわかりません。
「余裕がある」ことと「何も起きない」ことは別です。
それなら、出発まで時間がある今日は、ひとつ試してみたいことがありました。
バスターミナルから空港行きのバスに乗ってみる。
せっかくなら、旅の最後も“街の生活の動線”をなぞって終わりたい。そんな気持ちでした。
バスターミナルに着くと、それっぽい案内も時刻表もあります。
空港行きが「あるはず」の表示。
なのに、肝心のバスが見当たりません。
周囲を見渡しても、それらしい車両がいない。
乗り場らしき場所もあるのに、確信が持てない。こういう時、旅人の不安は「情報がない」ではなく、「情報があるのに現場と一致しない」ことで増幅します。
そのとき、声をかけられました。
「空港に行きたいのか?」と、バイクでの移動を勧めてくる人です。
ありがたいのはありがたい。けれど、今日は違います。
ここでバイクに乗ってしまうと、さっきまでの“試してみたい”が消えてしまう。丁寧に断って、もう少しだけバスを探すことにしました。
ぐるっと歩いて、見落としがないか確認して、それでも見つからない。
仕方なく、スタッフらしき人に聞いてみると——返ってきた答えは、予想外にシンプルでした。
「もう出発したよ。次は1時間後。」
思わず、「え、いま?」と心の中でつぶやきます。
時刻表上は“ある”。しかし、現実は“もういない”。
ラオスでは、ときどきこのズレが起きます。そして、悪意ではなく「そういうもの」として進んでいく。
次のバスまで1時間。
空港まで車で15分。
この比較をした瞬間、答えは出ました。
もちろん、時間だけなら待ってもいい。
でも、初めての空港で、チェックインや出国の流れが読めない中、“待つ不確定”を増やさないほうが安心です。
結局、オンラインタクシーを呼んで空港へ向かうことにしました。
バスターミナルで粘った分、「負けた」みたいにも感じます。けれど旅は勝ち負けじゃありません。最後に必要なのは、予定通りに動くことより、自分の心が落ち着く選択です。
車はすぐに来て、あっという間に空港へ。
市内の景色が流れて、気づけばもう到着です。
「やっぱり近いな」と思う一方で、こうも思いました。
近いからこそ、余計に迷う。
“まだ大丈夫”が何度でも言えてしまう距離だからこそ、旅人は判断が遅れがちになります。
ビエンチャン空港に着くと、まず感じるのはサイズ感です。
建物が大きすぎない。動線が読みやすい。国内線と国際線も近く、空港全体がひとつの塊としてまとまっています。
そして「旅の終わり」特有の静けさ。
チェックインカウンターが並ぶエリアも、巨大空港のような圧迫感がありません。必要なものだけがある、という感じです。
VietJetのカウンターを探して近づくと、案内が目に入りました。
「出発3時間前からオープン」
……早く着きすぎました。
到着が早すぎて、まだカウンターが開いていません。ここから1時間、待ち時間が確定します。
「ほら、やっぱり早く来る必要なかった」と思いながらも、もう来てしまったものは仕方ありません。
せっかくなので、空港内を散策することにしました。
空港での待ち時間は、退屈になりがちです。
でも、旅の最後の待ち時間って、実は悪くありません。
理由は単純で、もう「次の観光」がないからです。
やるべきことが減って、頭の中が静かになっていきます。
ルアンパバーンから始まった“ほどける感覚”が、ここでも続いていました。
コーヒーとパンを買って、席に座ります。
慌ただしく食べるのではなく、ゆっくり噛んで、苦味と香りを確かめる。
パンの素朴な味が、逆にちょうどいい。
こういう瞬間に、旅は整理されていきます。
出来事が思い出に変わっていくのは、移動の最中より、こういう“何も起きない時間”なのかもしれません。
16時になり、ようやくVietJetのチェックインカウンターがオープンします。
ここまで来ると、チェックイン自体は淡々と進みます。手続きが終わると「よし、制限エリアへ」と気持ちが前に進みます。
ところが、ここでまさかの足止め。
イミグレーションがクローズしていて、17時まで開かないと言われました。
これが今日いちばん“ラオスっぽい”瞬間でした。
普通なら「出国審査が閉まる」なんて想像しづらい。けれど、現実に起きています。理由を深掘りしても仕方ありません。
ここで大切なのは、怒ることではなく、自分の体温を下げないことです。
また待ちます。
でも、さっきより気持ちは楽でした。なぜなら、もう手続きは進んでいるからです。旅人の不安は「待つこと」ではなく、「待っている間に状況が悪化すること」。今回はその心配が薄い。
17時になってイミグレが開き、ようやく出国へ。
そしてここで、いまでは少し珍しくなった出国カードが必要になります。
こういう紙の手続きが残っていると、なぜか旅をしている実感が濃くなります。
デジタル化されたスムーズさも便利ですが、紙には紙の“儀式感”があります。
名前を書く。パスポート番号を書く。便名を書く。
その一つひとつが、「ここで旅が終わります」と静かに宣言しているみたいでした。
出国が終わったら、次はラウンジで休憩——と思ったのですが、ここでも想定と違う展開です。
有料ラウンジが奥に1つあるのですが、プライオリティパスが使えるラウンジが見当たりませんでした。先程、パンとコーヒーを食べてしまったので、有料でラウンジに入る必要もありません。
結局、出発ロビーの席で待つことになります。
この日、何度目の「待つ」でしょうか。
でも、ここで思いました。
「こんなことなら、もっとゆっくり来ても良かった」
そして同時に、こうも思いました。
「この“のんびり”も、ラオスの良さなのかもしれない」と。
ラオスは、何かが完璧に整っている国ではありません。
時刻表通りにいかないこともある。開くはずのものがまだ開かないこともある。
けれど、そのたびに世界が壊れるわけでもない。
“待つ”が、ただの損失にならず、余韻として残っていく。
旅の最後に、この感覚を持ち帰れたのは、むしろ良かった気がします。
結果だけ見れば、空港には早く来なくても良かったです。
チェックインは3時間前から。イミグレは17時まで閉まっていた。ラウンジもない。
合理性でいえば、「ギリギリ寄りでも成立した」かもしれません。
それでも、私は今日の時間を悪く思っていません。
空港での待ち時間に、旅が静かに整理されていったからです。
何も起きていないようで、旅の終わりに必要なものが全部入っていました。
ラオスの旅は、派手に締まらなくていい。
最後まで、静かなまま終わるのが似合う。
そんなことを思いながら、私は出発ロビーで、飛行機を待っていました。