2025年の世界幸福度調査でインドネシアが22カ国中1位に選ばれ、日本は最下位という結果に。なぜ経済的に決して豊かとは言えないインドネシアが、世界で最も「幸せな国」とされるのでしょうか?現地で実感したリアルな幸福感をもとに “本当の豊かさ”の正体に迫ります。
驚くべきことに、日本はその中で最下位!
「なぜ日本はこんなに豊かなのに、人々は幸せを感じにくいのか?」
「なぜインドネシアの人々は、経済的に厳しい状況でも笑顔でいられるのか?」
これは、私自身がインドネシア・マカッサルで暮らす中で、日々実感している問いでもあります。
2024年、ハーバード大学やベイラー大学などの研究機関が実施した国際的調査「Global Flourishing Study」では、「人間の繁栄(Flourishing)」をテーマに、世界22カ国・13万人以上を対象に幸福度を測定しました。
この総合スコアにおいて、インドネシアは8.41で世界1位を獲得。
一方で、日本は5.93と最下位(22位)という結果に。
特に若年層で「人生に意味を感じない」と答える割合が高く、社会的孤立や精神的ストレスが背景にあると分析されています。
私がマカッサルに移り住んでから約3年半。
このランキング結果は、日々の生活の中で「本当にそうだな」と実感することが多々あります。
たとえば、日本では街を歩いていても、どこかピリピリした空気が漂っています。多くの人が無言で、目を合わせることすら少ない。私も東京で暮らしていた頃は、なんとなく閉塞感を抱え、「豊かだけど、なぜか心が満たされない」と感じることがよくありました。
その一方で、マカッサルでは、生活が多少不便でも、周囲の人たちの笑顔やちょっとした声かけが、自然と心を軽くしてくれます。
バイクの騒音、突然の停電、水圧の弱いシャワー──そんなことがあっても、人々は「Gak apa-apa(大丈夫)」と笑い、文句ひとつ言わず、“なんとかなる”空気が社会全体に流れています。
インドネシアでは、家族や親戚、近所との結びつきが非常に強く、「一人で抱え込む」という発想自体があまりありません。
冠婚葬祭はもちろん、日常の買い物やちょっとしたトラブルの中にも、助け合いの文化が根づいています。
マカッサルを歩いていると、名前も知らない人が「調子どう?」と声をかけてくれるのは当たり前。見知らぬ人同士でも自然に挨拶を交わす光景に、最初は驚きましたが、今ではその温かさが心地よくなっています。
こうした小さなやり取りの積み重ねが、「自分は一人じゃない」と思える心の支えになっています。
インドネシアの人々にとって、宗教は生活の中心にあります。モスクから聞こえる礼拝の声、断食月の祈り、そして日常的な分かち合い──それらが、「人生に意味がある」と感じさせてくれる基盤となっています。
宗教は「義務」ではなく、「人生の軸」。
「自分はなぜ生きているのか」「何を大切にするべきか」といった問いに対する答えが、自然と日々の暮らしに組み込まれているのです。
そのためか、人々の表情にはどこか落ち着きがあり、笑顔にも余裕があります。
インドネシアで暮らしていて感じるのは、“楽観性”と“寛容さ”です。
多少の失敗や遅れも、「Gak apa-apa(気にしないで)」の一言で受け入れられる文化。
人々は、完璧さを追い求めるのではなく、その場をどう楽しく過ごすかを大切にしているように見えます。
マカッサルで暮らしていると、そうした空気が心の余白を生み出してくれます。
「ちゃんとしなきゃ」と思い詰めていた自分が、少しずつ解きほぐされていく感覚がありました。
日本では、「失敗しないこと」や「他人に迷惑をかけないこと」が重視されがちです。
しかしその一方で、人とのつながりや精神的な満足感は置き去りにされることも少なくありません。
今回の調査で日本が最下位だった背景には、以下のような問題が指摘されています:
一方のインドネシアには、不便さはあっても、「人と笑って生きる」温かさがあります。
私たち日本人が忘れかけていた“豊かさ”の本質が、そこには確かに存在しています。
日本で感じていた閉塞感。それがマカッサルではいつの間にかほどけ、自然と笑顔が増え、ストレスも減っていった──これは私自身の実体験です。
インドネシアの「人を大切にする文化」「ゆるやかな社会」「信仰と共にある生活」は、誰もが無理をせず、自分のペースで幸福を感じられる社会を形づくっています。
今回の幸福度ランキングは、単なる数字ではありません。
「どんな社会が、人を本当に豊かにするのか?」
その問いに対する答えが、インドネシアの暮らしの中にあるように思います。
そしてその答えは、意外とすぐそばにあるのかもしれません。