インドネシアで激化した反政府デモは、9月3日現在ジャカルタでは沈静化の兆しを見せています。一方で地方都市では依然として抗議が続き、一部は暴徒化しました。この記事では、文化的概念「アモック」と今回の抗議活動を比較し、鎮静化の流れと今後の課題を考察します。
2025年8月下旬からインドネシア各地で反政府デモが激化しました。背景には、国会議員への巨額の住宅手当支給が報道で明らかになり、市民の怒りが爆発したことがあります。さらに28日には警察車両が若いバイクタクシー運転手を轢き死亡させる事件が発生。抗議の矛先は議員だけでなく警察にも向かい、暴動の様相を呈していきました。
マカッサルでは地方議会庁舎が放火され、職員4人が死亡。ジャカルタでは国会周辺が封鎖され、催涙ガスが撒かれるなど、混乱は瞬く間に全国へ波及しました。SNSでは「#BubarkanDPR(議会を解散せよ)」のハッシュタグが広がり、怒りと混乱は頂点に達したように見えました。
この状況を見ながら思い出されるのが「アモック」という言葉です。東南アジア、とりわけマレー文化圏で伝統的に知られてきた「理性を失った暴走行為」を指す概念であり、英語の “run amok” としても定着しています。今回のデモは、果たして「アモック」なのでしょうか。
9月3日現在、ジャカルタではデモは徐々に落ち着きを取り戻しています。ジャカルタ首都特別州知事は在宅勤務(WFH)の解除を指示し、全ての公共交通機関の通常運行再開を発表しました。MRTやトランスジャカルタも順次復旧し、行政は「首都は安全である」と強調しています。
週末にはスディルマン通りで恒例のカーフリーデーも実施され、日常の生活が続けられていることが確認されました。もちろん国会周辺など一部地域では警戒が続いていますが、市民生活そのものはすでに通常モードに戻りつつあります。
しかし首都圏を離れると、まだ緊張が続く地域もあります。マカッサルの州議会庁舎放火事件では4人が死亡し、衝撃が広がりました。9月3日も在マカッサル領事事務所から5件のデモが報告されましたが、地方では依然として「正義を求める抗議」と「暴力的な暴徒化」が混在し、突発的な衝突の可能性は否定できません。在留邦人に対しては引き続き「外出時は最新情報を入手し、警察署や議会周辺には近づかないように」という注意喚起が続いています。
ここで改めて「アモック」という概念を整理してみましょう。
語源:マレー語の amuk。「怒りに任せて無差別に人を襲う」という意味。
歴史的背景:16世紀以降、西洋人がマレー圏で記録した「突然理性を失って暴走する戦士」の事例から広まる。
英語での定着: “run amok”=「狂乱状態に陥る」「暴走する」。
特徴:突発的・制御不能・無差別性・群衆心理と結びつきやすい。
精神医学的には「文化結合症候群」の一つとして扱われることもあり、強いストレスや社会不安の中で突然起こる暴力的な爆発現象を指します。
今回の反政府デモを「アモック」と呼べるかどうかを検討すると、次のように整理できます。
違う点
明確な政治的背景(議員特権への反発)がある
攻撃対象は無差別ではなく、議会・警察・政治家の家など特定の権力機関に集中している
似ている点
一部の群衆が突発的に暴徒化し、略奪や放火に走った
「誰も止められない群衆心理による暴走」という点はアモック的
結論として、今回のデモ全体を「アモック」と呼ぶのは適切ではありません。しかし、その内部で見られた暴徒化や制御不能の群衆行動は“アモック的な現象”と表現できます。つまり、政治的要求に基づいた抗議運動が、一部で文化的概念の「アモック」と重なる暴走へと転じたのです。
ここ二日間の動きを見ると、デモは新たなフェーズに入りつつあります。先日の抗議では一部が暴徒化し、バス停など公共施設が燃やされましたが、その衝撃が国会と政府を動かしました。
国会議員に支給されていた問題の「住宅手当」は基本的に廃止され、批判を集めていた「海外視察」も当面凍結されることが発表されました。これはデモによって国会・政府が具体的に制度改革を迫られたという点で、国民の命を賭した行動が一定の成果を得たといえるでしょう。暴徒化は避けるべきであるものの、市民のパワーが政治を動かした事実は圧巻であり、学ぶべき部分もあると感じます。
こうした合意を受け、プラボウォ大統領は一時見送っていた訪中を本日再開しました。大統領が外遊できるほどに首都の情勢が安定したことは、沈静化の進展を象徴しています。
ただし、物価上昇や雇用不安など、根本的な社会経済的課題は依然として存在します。これらが改善されなければ、不満は再び蓄積し、いつか再び「アモック的暴走」として噴き出す危険を孕んでいます。
インドネシアの反政府デモは、単なる「無意味な狂乱」ではなく、社会的不公正への強い抗議として始まりました。その一方で、一部の群衆が暴徒化し、制御不能な暴力行為へと走った点には、東南アジア文化に根付く「アモック」という概念が重なります。
今回の出来事は、現代社会における「アモック的暴走」と民主主義的抗議活動の境界を改めて考えさせる事件となりました。